小松政夫さんが亡くなった。78歳だった。小松さんを最後に取材したのは3年前で、師匠である植木等さんとの40年を超える師弟関係をつづった本を出版する直前だった。日刊スポーツの愛読者だった小松さんは「日刊さんに載るのは久しぶりだね。うれしいなー」と喜んでくれて、帰る際には「今日、知人が送ってきたんだ」と、袋に詰めたみかんをいただいた。喜劇の大御所だけど、偉ぶったところはなく、気さくで優しい人だった。
そして、責任感の強い人だった。小松さんは2011年から「日本喜劇人協会」の会長を務めた。過去に榎本健一、森繁久弥、三木のり平、森光子らそうそうたる人が会長を務めたけれど、小松さんが10代目会長に就任した時は、会員数も減って、活動の継続が危ぶまれていた時期だった。小松さんは協会を盛り上げようと、協会主催の「喜劇人まつり」などの公演を行い、孤軍奮闘した。数年前には協会の活性化のため、会長職を若い人にバトンタッチしようとしたが、後任は決まらなかった。今、協会は休眠状態になっており、小松さんも心残りだったと思う。
「表彰状、あんたはえらい」「知らない! 知らない! もー」「ながーい目で見てください」「どうして! どうしてなの! おせーて!」「もー嫌、もー嫌、こんな生活」「何を裕次郎、島倉千代子」など80を超えるギャグを持っていた。それはすべて、サラリーマン時代に職場や酒場などで出会った人の口癖やしぐさから生まれた。
師匠の植木等さんにも「お呼びでない、こりゃまた失礼いたしました」というギャグがあるけれど、生前、植木さんはかつて付き人だった小松さんの早とちりから生まれたと話していた。「小松が出番じゃないのに、僕を呼びに来た。慌ててスタジオに行って、セットのふすまを開けたら、前のコントの途中だった。その時、とっさに出たのが『お呼びでない』ってセリフだった」と証言していた。しかし、小松さんは最後の取材の時、それを否定した。「まったく覚えがないんです。考えるに、わざと僕の早とちりのせいにしてくれたと思う。そうやって、僕のことをアピールしてくれたんじゃないかと思うんです」。
小松さんは、07年に80歳で亡くなった植木さんを「親父(おやじ)」と呼んで、生涯の師匠として慕っていた。小松さんは「親父の年まで現役でいたい」と言っていたが、かなわなかった。天国で植木さんに「早すぎるぞ」と叱られているかもしれない。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)




