広島市の中心部・旧広島市民球場の跡地にある「勝鯉(しょうり)の森」には広島カープの「セントラルリーグ優勝記念碑」があります。昨年の優勝が記念碑の最下段に刻まれ、新たな優勝を刻印するスペースがなくなりました。広島の球団史上初の3連覇が目前に迫り、ファンの間では「優勝を刻むスペースがない」と心配する声もありましたが、広島市はすでに増設を検討し、碑と同じ御影石の調査も、ほぼ終えています。広島市の「カープ愛」も半端ではありません。

「セントラルリーグ優勝記念碑」は1980年(昭55)に完成。75年の初優勝から昨年のV8まで、優勝した西暦と対戦成績が記されています。下段までスペースが埋まるまで37年、かかりました。

管理する広島市は「優勝が決まる前に正式に決めることは難しい」と増設決定の発表はできないと説明します。ただ、いまは検討段階ですが、そこは「カープ愛」です。現在ある記念碑(高さ1・5メートル、幅2メートル)と同じ大きさと色合いの御影石を用意するため、石材店に問い合わせているそうです。

広島市では25年ぶりのリーグ優勝を果たした16年から広島カープを応援しようと、職員にカープのユニホームやTシャツを着て勤務するよう呼びかけ、今年も行っています。球団史上初の3連覇に向けて、市を挙げて応援しています。

新しい記念碑は現在の隣に設置することを「検討」していますが、市の担当者は「新しい記念碑には9回以上の優勝を刻むスペースが確保できるはずです。いまある記念碑の一番上の『セントラルリーグ優勝記念碑』の文字はいらないはずですから」。ここにも「カープ愛」です。

広島カープは市民とともに歩んできました。チームは原爆が投下されてわずか4年後の1949年(昭24)、戦後復興を願って親会社を持たない市民球団として設立。しかし球団は資金繰りに苦しみました。1951年(昭26)、存続の危機を救おうと立ち上がった市民は、球場に置かれたたるに次々とお金を投げ入れる「たる募金」で支援しました。09年のマツダスタジアム建設の際も市民は「たる募金」で新球場建設の機運を高めました。

広島が本拠でリーグ優勝を決めたのは、旧広島市民球場時代の1991年が最後。27年ぶりの本拠地胴上げ&マツダスタジアムでの初の胴上げへ、歓喜の瞬間はもうすぐです。

勝鯉の森には「日本選手権シリーズ優勝記念碑」もあります。34年、「日本一」は刻まれていません。ちなみに、こちらはまだ3回ほど「日本一」を刻めるスペースがあります。

【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)


「勝鯉(しょうり)の森」にある広島カープの「日本選手権シリーズ優勝記念碑」(撮影・松浦隆司)
「勝鯉(しょうり)の森」にある広島カープの「日本選手権シリーズ優勝記念碑」(撮影・松浦隆司)