あの人の教えがあったからこそ今がある。北海道にゆかりある著名人たちの、転機となった師との出会いや言葉に焦点をあてた「私の恩師」。ファクスのやりとりが、心の支えだった。フジテレビ斉藤舞子アナウンサー(34=札幌市出身)がアナウンサー試験を受けたのは、北海道教大札幌中で担任だった佐々木智之氏(53)の言葉がきっかけだった。卒業後も高校、大学在学中はファクスで近況報告などを続け、今も親交は続いている。

 英語の先生で、2、3年の時の担任でした。バイクが大好きでアメリカン。多感な時期だったけど、とてもフレンドリーに寄り添ってくれて授業が楽しかった。

 人格形成に、ものすごく影響を受けたと思います。高校進学と同時に東京に来たんです。家族と一緒だったけど、すごく寂しくて。「お元気ですか?」とか「友達ができた」とか、たわいもないことをファクスで書いて送っていました。月に1回くらいかな。東京で頑張っています、と。電話はなんだか気恥ずかしくて。手紙となると、とそんなに書くこともないしなーって感じで。

 授業中に英語で討論があったんですけど「斉藤さんはすごく声が良いと思うんだ」と言ってくれて。「私しゃべるの苦手なんですけど」って言ったら「声を生かす仕事に就いてみたら?」と。そのせいか、なぜか卒業文集みたいなものに将来の夢で「狙うは『タモリ』。フジ女子アナの私は(中略)『いいとも』から『Mステ』までも制覇★」と書いていました。局が違う番組も書いているのが恥ずかしいんですけど。すごい影響力があったんですね。

 大学で、これからどうしようと考えている時も先生に相談したら「アナウンサーって(卒業文集に)書いてたじゃん」と言われて。その時は客室乗務員に憧れていたんですが、じゃあ受けてみようかなと、フジテレビを受けました。内定をもらった時に親と先生に連絡をして。先生にはもちろんファクスで。そしたらすぐに電話がかかってきて「せっかくファクスで送ったのに意味ないじゃん」って思ったんですが「え~!」と驚いていた。「僕が言ったおかげだね」なんて言っていました。

 コミュニケーションの仕方を教えてくれたのも先生。こんなに本音を言っても良いんだと思った。今の仕事にも生きています。いろんな人にぶつかっていくことができる。卒業して20年くらいたつのに、大きな存在です。

 今? メールを覚えたので、連絡はメールなどで取っています。

 ◆斉藤舞子(さいとう・まいこ)1981年(昭56)5月2日、札幌市出身。北海道教大札幌中-慶応湘南藤沢高-慶大経済学部。04年、フジテレビに入社し、すぐに「あっぱれ!!さんま大教授」の助手アナに抜てきされる。「笑っていいとも!」や「すぽると!」などを経験し、現在は「FNNスピーク」などを担当。

 佐々木氏 当時もらったファクスはまだ取ってあります。卒業してからも連絡をくれて、教師冥利(みょうり)に尽きますね。うれしかったです。

 斉藤さんが3年生の時、5月16日の私の34歳の誕生日に、教壇にバナナ1房のプレゼントが置いてあったことがあるんです。きっと斉藤さんが企画したと思うんですが、給食で出ていたバナナをみんなが残していて。昔は高級で誕生日にならないと1房買ってくれなかったんだぞと言ったことがあったんです。それを覚えていたんでしょうね。人の話をちゃんと聞ける子。アナウンサーに向いていたんでしょうね。(北海道科学大未来デザイン学部人間社会学科准教授)