名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」第19回は、Mr.Children(ミスターチルドレン)の大ヒット曲「innocent world(イノセントワールド)」です。94年の日本レコード大賞受賞曲ですが、審査の過程では当時、同賞が抱えていたジレンマも浮き彫りとなりました。

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1994年(平6)12月31日午後8時すぎ、東京・赤坂のTBSで行われた第36回日本レコード大賞審査委員会は、白熱した論戦が繰り広げられていた。あまりの激論に、審査会場からの生中継が取りやめになった。大賞候補は、藤あや子の「花のワルツ」、坂本冬美の「夜桜お七」、桑田佳祐の「月」、そしてMr.Childrenの「イノセントワールド」の4曲に絞られていた。

当時、レコード大賞は、数々のジレンマを抱えていた。ロック・ポップス系と演歌・流行歌系の曲では、売り上げ枚数に大差がある。売り上げ枚数だけで計れば、演歌系は太刀打ちできない。

しかし一方で、何百万枚売っても、その購買層が20歳前後に限定され、その年を代表する国民的な認知度や芸術性があるかといえば、そうともいえなかった。逆に数十万枚しか売っていなくても、演歌・流行歌系には芸術性の高い作品もあった。

さらに賞レースには「出る」「出ない」の問題が常に付きまとった。ミリオンを売るロック・ポップス系は「歌は芸術表現で、ランク付けされたくない」と、出演を辞退するケースが多かった。ところが、番組には出演はしないが「いただけるもの(賞)は断らない」というアーティストもいて、話をややこしくしていた。一方、演歌系は「歌える場があればできる限り露出し、賞の恩恵で売り上げを少しでも伸ばしたい」と願い、賞レース出演に積極的だった。

第36回日本レコード大賞では、藤、坂本は生出演。桑田は横浜アリーナでの年越しライブのため、会場には来られず中継出演。ミスチルはレコーディングを理由にオーストラリアに渡り、欠席だった。

審査委員会では(1)セールス(2)年度色(3)作品の完成度・芸術性の3点と、出演状況が論議の的になった。セールス、年度色ではミスチルが圧倒的だったが、作品の芸術性では藤、桑田も決して引けを取らない。しかもミスチルは欠席だった。「レコード大賞の歴史の中で、不在者の大賞はかつて1度もない」「いや、過去を踏襲すべきではない。時代は変わりつつある」と激論が続いた。

ミスチルは、同じ高校の軽音楽部に在籍していた桜井和寿らによって89年1月に結成され、辻仁成率いるロックバンド「エコーズ」をコピーしていた。辻といえば音楽家だけでなく、小説「ピアニシモ」で89年すばる文学賞を受賞。この年の芥川賞にもノミネートされるほどの作家として知られていた。桜井はその辻に共鳴し、桜井の作詞も極めて文学性が高かった。

ミスチルの才能を早くから評価していた音楽評論家の富沢一誠さんは「青春を歌う『イノセントワールド』はその代表的作品で、分かりやすいしゃべり言葉の詞とは違い、イメージが統一されておらず、十人十色の解釈ができる。普遍的なイノセントワールドがどこにあるのか、どんな世界なのか、聴くものが自由に創作できることが共感を得た1つの理由」と語る。

桜井の声質、サウンドのインパクト、そして繰り返し聴いても耐えられる詞のリアリティーが、同作品を大ヒットに導いていた。芸術性でもミスチルが他を抑える結果となった。

予定の時刻をはるかにすぎてやっと手元に来た大賞受賞者名を発表したレコード大賞の司会者は言葉に詰まってしまった。36年の歴史を持つ日本レコード大賞で初めて、会場に不在のアーティストが大賞を獲得する台本など、準備されていなかったからである。【特別取材班】


※この記事は96年12月23日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。