ミュージカルの本場ブロードウェーで、日本人として初めてオーケストラの指揮を執った伊熊啓輔氏(50)がインタビューに応えた。ロングラン公演中の「王様と私」(トニー賞4部門受賞)にオーボエ・イングリッシュホルン奏者として出演していた伊熊氏が、一念発起して同ミュージカルで指揮者として立ったのは、開幕当時主演を務めた渡辺謙の影響も大きかったという。

(Q)渡辺謙さんが劇中で歌うソロ「王様の歌」で、イングリッシュホルンとの絡みがあったことで、楽屋を行き来するほど関係が深まったそうですね

(A)4カ月間一緒に仕事をさせていただきました。彼のチャレンジ精神には本当に脱帽します。全くミュージカルの経験のない世界的大俳優が、母国語でない英語で歌あり踊りありの超難役を演じ、さらにトニー賞の主演男優賞にノミネートされたのですから。舞台上の謙さんも素晴らしかったが、常に努力をして前進していく姿に感動しました。毎日2時間前に楽屋入りして、体のケアを入念に行っていました。またショーが始まる30分前には必ず、ピット横のリハーサル室に現れて発声練習や演技練習をこなすんです。私が指揮をしたい気持ちになったのは、謙さんのチャレンジ精神を間近で見たからに他なりません。

 1月末にカンパニー全体の初顔合わせがあったのですが、謙さんはその時からすでに100ページ超の英語の台本をすべて暗記していました。それがきっかけで私も自身の楽譜を暗譜し、本公演が始まった4月には譜面台には何も置かずに演奏をしていました。譜面を見る必要がないので、常に指揮者を正面から見つめて多くのことを学びました。これが後々に自分が指揮をする時にたいへん役立ちました。

(Q)指揮者に抜てきされた経緯は。何しろ日本人初の快挙です

(A)「王様と私」のミュージカルディレクター兼指揮者のテッド・スパーリング氏が、11月から始まる「屋根の上のバイオリン弾き」のディレクターに就任するので、現在の指揮者3人体制(指揮者、准指揮者、副指揮者)を維持するために指揮者をひとり増やす必要性が生まれたんです。7月中旬でした。この話を聞き、スパーリング氏に立候補を表明したんです。私が指揮法を師事していた恩師からの紹介もあり、スコアを渡され学ぶように指示されました。

 指揮者はショーが続く3時間にわたりオーケストラ、舞台上の演者、舞台裏のスタッフに休む間もなく指示を出し続けるため、700ページ近くあるスコアを見てページをめくりながら指揮をするのが困難だと分かっていました。だからスコアを手に入れたと同時に、すべてを頭の中に詰め込む作業を始めました。

 その2週間後がオーディションを兼ねた通し稽古で、8月19日に指揮を執ることを告げられたのはその5日前。あまりに早い展開で、本当に驚きました。

(Q)ブロードウェーで初めて指揮した気持ちは

(A)デビュー数日前から夜中に何回も目がさめ、ショーの音楽を頭の中で演奏していた自分に気付きました。今年のトニー賞リバイバル部門を受賞したミュージカルで、主演女優賞(ケリー・オハラ)と助演女優賞(ルーシー・アン・マイルス)を率いるという大役のプレッシャーが、本番が近づくにつれてのしかかってきました。オーケストラの序曲で本番が始まった瞬間、ロジャースとハンマースタインが創った素晴らしい音楽を演奏する喜びを感じました。緊張感を味わいながらも、3時間、キャストとオーケストラを無事統率することができました。

(Q)ディレクターからは、すぐに次回のオファーが来たそうですね

(A)スパーリング氏が終演直後にピットに現れ「おめでとう」という言葉をかけてもらい、「今週の土曜日も任せるよ」と言われた時は、一気に肩の荷が下りて安堵(あんど)感に包まれましたね。そして今まで感じたことのない疲労感が押し寄せてきました。

(Q)ところで、これまでプロとして指揮した経験もなかったそうですね

(A)慶応義塾高校ワグネル・ソサエティー・オーケストラの副指揮者や、アマチュア・オーケストラの指揮者を日本で務めたことはありましたが、プロの指揮者としては今回がデビューでした。指揮法はマンハッタン音楽院時代にデビッド・ギルバート氏に、現在はコンスタンティン・キツァポリス氏に師事しています。またニューヨーク・フィルハーモニックの奏者として過ごした5年間、世界で活躍する数多くの指揮者を正面で見ることで多くのことを学びました。

(Q)ブロードウェーで指揮する難しさは

(A)ロングランのブロードウェー・ミュージカルは、同じショーを週に8回行っています。私が指揮したショーは春から始まったばかりでありながら、すでに200回以上上演されてきました。役者さん、ダンサーさん、オーケストラのミュージシャン、裏方さん、このショーに関わる全ての人たちに違和感を与えず、安心感を持って普段通りのショーを創っていかなくてはならないところが、副指揮者にとって大切であり、難しいところでもありますね。さらに我々とっては同じショーでも、その日に来ていただいたお客様に楽しんでいただける特別なエンターテインメントを提供する義務があり、その鍵を握るのが指揮者だと思います。

(Q)オーケストラのメンバーはどんな人たちですか

(A)「王様と私」のオーケストラは総勢29人と、現在行われているブロードウェー・ミュージカルでは最も規模の大きいオーケストラです。ディレクターのバート・シェア氏とミュージカル・ディレクターのスパーリング氏が、オリジナルに忠実にオーケストラをただの伴奏として扱うのではなく、ショーの一部としてお客さんに楽しんでもらえる演出になっている。冒頭の序曲ではピットの上が開放されていて、オーケストラが観客席から脚光を浴びるようになっています。メンバーはニューヨークで活躍する精鋭ぞろいの集団で、一流オーケストラに引けを取らない実力を持っています。

(Q)最後に今後、ご自身の展望をお聞かせください

(A)実はアメリカに留学した20代の頃から「50歳になったら指揮者になる」と心の片隅で自分自身だけに小さな声で唱えていたんです。でもプロのオーボエ・イングリッシュホルン奏者として仕事を順調にこなしていたので、指揮者になるという夢、野望みたいものが薄れかけていました。今年の1月に50歳になり「王様と私」のオーケストラの仕事を引き受け、そこで渡辺謙、ケリー・オハラを筆頭に強烈な個性を持ったプロたちに出会った。これで一気に若い頃の感情が湧き上がり、そして自分にとって完璧なタイミングが重なり、1年前には考えてもいなかった指揮者へのシナリオが動き始めたんです。そしてあっという間に、今回のプロデビューに。今はこの素晴らしいミュージカルのオーボエ奏者として、指揮者として関われる喜びに浸っているので、今後の展望などあまり明確には思い浮かびません。特に今は日曜日(13日)のショーの指揮を任されているので、その準備で頭がいっぱいです。

 現実を見つめると、ロングランのミュージカルといえども必ず終演がやってくるので、その先どうするのかと不安な面もあります。でも今までやってきたように、あまり将来の展望などを考えずに自分の直感を信じてやっていこうと思います。でも指揮者って仕事、ホントーに楽しい!

 ◆伊熊啓輔(いくま・けいすけ)1965年(昭40)、東京都生まれ。オーボエ、イングリッシュホルン奏者、指揮者。慶応義塾高校入学後、オーボエを始める。慶応義塾大学法学部卒業後、ニューヨークのマンハッタン音楽院に留学。全額奨学金の特待生として前ニューヨーク・フィル首席ジョセフ・ロビンソン氏に師事した。

 同院卒業後、香港管弦楽団の首席、フロリダ州のニューワールド・シンフォニーの首席、ニューヨーク・フィルのオーボエ奏者とイングリッシュホルン奏者を歴任。現在はハドソン・バレー・フィル、ニュージャージー・シンフォニー、プリンストン・シンフォニーなどのオーケストラ奏者として活躍中。「ウィキッド」「オペラ座の怪人」「メリーポピンズ」「ピーターパン」など数多くのブロードウェーミュージカルにも出演し、ジャンルにとらわれず多岐にわたる演奏活動を行っている。

 96年に刊行されテレビドラマや映画化された林真理子の小説「不機嫌な果実」に登場する音楽評論家「通彦」のモデルになった。