女優川島なお美さん(享年54)が亡くなってから一夜明けた25日、吉田照美とタレント千倉真理が文化放送の「吉田照美 飛べ!サルバドール」(月~金曜午後3時30分~5時50分)に出演し、訃報を受けての心境を語った。川島さんは、今年3月まで同番組内のミニコーナー「照美となお美 飛べサル旅行社開店中」に出演していた。

 番組冒頭で、吉田は「昨日夜、テレビを見ていたところ、川島なお美さんの訃報に接しまして、ひどくびっくりしました」と話した。その後、今年3月21日放送の「照美となお美-」コーナーの最終回の音声が流された。吉田と川島がお互い「相性がいい」と言い合うほほ笑ましいやりとりを振り返り、吉田は「すごく元気だったんですよね。本当にその後、訃報に接するとはよもや思わなかったんです。番組内ではミニコントもしたんですけど、とにかく(川島さんは)手抜きをしない。そこがすごいよね。『ミスDJ』の時は女子大生って感じだったけど、その後一緒に仕事をした時にはもうプロって感じだった。手抜きをしないで、一生懸命やる」と語った。

 さらに、川島との最後のエピソードも明かした。

 「私が油絵をやっているもので、鎧塚さんとの結婚式の、川島さんが一番きれいな時のシーンの絵を差し上げたんですよ。その後、林真理子さんにも、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』をモチーフにした絵を差し上げたりしていたんですけど、おふたりは仲がいいみたいで、その話になったみたいんなんです。それで、川島さんからも『今度は私も、名画のバージョンがほしい』って言われて、ぜひって言っていたんすけど。結局は間に合わなかった。残念です」

 さらに、かつて川島さんが火曜パーソナリティーを務めた文化放送「ミスDJリクエストパレード」(81~85年放送)で別の曜日のパーソナリティーを務めていた千倉も電話出演。「もう、なんか今、照美さんとなお美ちゃんの声をラジオで聴いてしまうと、もうダメ」と涙声で話した。

 吉田 真理ちゃんは、訃報はどうやって知ったの?

 千倉 夜に友達と電話をしていたら、スマホの方にいろんな人からメールがきていて。信じられなくて。あぜんとしました。

 吉田 今日、なお美さんのお宅にも行ったそうですが

 千倉 お宅に行ったら、余計信じられなくなってしまったんですけど。(棺の中の川島さんは)本当にきれいでしたし、余計。見ていても、ここに魂もあって、まだ起きるかなって思うくらい、全然きれいだった。

 吉田 今月初めの会見で、なお美さんがすごく痩せていて、ニュースにもなって、びっくりしたんですけど、ここまで悪いっていう話は真理ちゃんは聞いていた?

 千倉 とにかく自分の意思でというか、食べ物とかで治すんだよっていうふうに聞いていたので、詳しくは聞いていなかったので。7月3日に、「ミスDJ」に出ていた子たちで、30年ぶりくらいに集まったんですよ。その時も、いっぱい食べていたし、誰も心配するような感じではなかった。その後、会見の様子をテレビ見て、痩せていてびっくり、という感じです。

 吉田 そうだったんですか。

 千倉 なお美ちゃんは、パリに私が住んでいる時に、何度もきてくれました。私の旦那さんが、7年くらい前に亡くなった時も、一番最初に連絡してくれて、ご飯とか一緒に行って。とにかくいつも元気で。なんでそんなに元気なの? って聞くと、「自分が元気じゃないと、周りの人が心配いするでしょ」って。やっぱり、周りのことを考えて、いつも自分が元気でいるようにしていた。

 吉田 そうだね。最後までそういう姿勢だった。

 千倉 四ツ谷の文化放送の駐車場であいさつした時、私が19歳で、なお美ちゃんが21歳でした。その時から、グイグイ、後ろを見ることなく、進んでいく人でした。おもしろくて、恋もして、欲張っていく。爽やかに、楽しく。そういう人でした。

 その後、82年リリースの川島さんのシングル、「ラヴ・ミー・タイト」が流された。