今年1月9日に亡くなった3代目桂春団治さん(享年85)の追悼記念植樹が24日、大阪府池田市の豊島野(てしまの)公園で行われ、倉田薫池田市長や、3代目後援会の八重樫栄一会長らが、早々に「4代目春団治」が誕生することを望んだ。

 八重樫後援会長から3代目のハッピを着せられた倉田市長は、落語、芸能文化のさらなる発展のために「できるだけ早い段階で、4代目の誕生を待ち望んでおります」とあいさつ。八重樫会長も「もうだいぶ(4代目は)固まってきているとは思います。来年の一周忌のころには発表できれば」と話した。

 上方大名跡の襲名をめぐっては、20年以上にわたり、一門でも課題ではあった。生前の3代目は、弟子全員を「息子やから」と言い「皆に名前を継がせたい。でも名前はひとつや」と悩み、10年ほど前には「もう春団治はわしで終了や」と話したことがあった。

 この日、取材に応じた弟子の桂春之輔(67)も、師匠との間で「春団治は3代限りで(終わり)」との話が上がっていたと認めた一方で、3代目は、3代目夫人に向け、後継をめぐる「遺書」を残していたことも明らかにした。

 「わしら(弟子は)、何書いてまっかとは、うかつに聞けませんがな。何も知らんのですけど、どうやら何か書いてあるらしいです。師匠も最後は『4代目の誕生』を望んだ(で)はりましたから」

 春之輔によると、3代目は晩年になって、自らの名跡を後世に残すことを望み、思案していたという。

 実際、3代目は名跡の行方を悩んでいた。若い頃からテレビでも活躍し、芸も達者で、3代目自らも後継に期待していた2代目桂春蝶さんは93年1月、51歳の若さで亡くなった。94年にその長男、大助が自らのもとに弟子入りすると「大助に4代目を継がせるか」と言ったこともある。

 大助は「桂春菜」として落語家になり、09年に父の名跡を継ぎ「3代目桂春蝶」を名乗った。ただ、一門には手話落語も手がけ、若き日には新作、後年は古典への造詣も深く、持ちネタの豊富さで知られ、師匠亡き後の一門を束ねる桂福団治(75)ら、実力派も多く、生前の3代目も相当悩んでいたようだ。

 これらのことから、春之輔は4代目について「(後援会)会長は一周忌のころ(に発表)言うてましたけど、まあ三回忌になるかも分かりませんし、いつかは…」と話すにとどまった。

 またこの日は、3代目が好んだ「はなみずき」を植樹。2メートル弱の高さの木を3本植え、2代目春団治夫人の河本寿栄さん(91)がよんだ句も添えられた。

 芸事に精通した2代目夫人は、前日23日に池田市の受楽寺で行われた初代から3代までの春団治さん法要に出席。その後、同所へ立ち寄り、植樹を知ると、数分で句を作ったという。

 その句には「花見ずに 逝きし手植えの 花水木」と記されていた。