日本初のパーソナリティーとして活躍し、熱心な阪神ファンで阪神タイガースの歌の通称だった「六甲おろし」を世に広めた元朝日放送1期アナウンサーで、衆参両院で議員も務めた故中村鋭一さん(享年87)の告別式が10日、大阪府吹田市内で行われ、出棺は葬儀参列者による六甲おろしの合唱で送られた。

 中村さんの「おはようパーソナリティ中村鋭一です」を引き継いだ後輩の道上洋三アナウンサー(74)は、中村さんの長女から「合唱で送り出してください」と声が飛ぶと、六甲おろしの合唱を誘導。3番まで明朗な声で歌い上げた。

 「先輩は、政治家もやって、いろんな番組もやらはったけど、(おはパソに)帰りたかったんやと思う。今日も棺の中でしゃべってはりましたわ。今でもすぐにしゃべりたそうな顔、してはりました」

 13年先輩の中村さんと同じ道を進み、番組を「おはようパーソナリティ道上洋三です」として引き継ぎ、ちょうど今年が40周年。「40年やっても越えられません。でも、先輩は87歳まで現役でやってはったから、あと13年は僕も続けていたい」と話した。

 晩年、道上アナは、中村さんの“原点”を思い、「僕はもう十分(おはパソを)やらせてもらったから、もう1回、やったらどうですか」と声をかけたそうだが、中村さんは「あほなこと言いな」と固辞。後輩を見守り続けた。

 道上アナは、阪神が勝てば翌日に六甲おろしを番組で歌うスタイルを継承し「歌った回数だけは先輩を超えました」。番組の30周年時には、中村さんと六甲おろしを歌い「あのときは一緒に歌ってもらいましたね」と、涙ぐみながら振り返り、天をあおいだ。

 最後に会ったのは今年の夏前で、中村さんが最後に長期入院する直前だった。ともに阪神ファン。語り合えば、阪神の話になった。

 「今年はもうちょっと、広島が負けてくれてたら…」と、今季2位に終わったタイガースに言及。「来年こそは、次(の優勝)は先輩が六甲の上空から、僕とリスナーは甲子園から、宝からに我々の国歌を歌いたい。いや、歌いましょう」と天国へ旅立った先輩に語りかけた。

 中立であるべき「アナウンサー」を離れ、個性を際だたせる「パーソナリティー」の概念も定着させた中村さんは、一方で、聴取者を「リスナー」とする呼称も“生みの親”でもあった。道上アナは「リスナーという言葉も先輩が使い始めて、いまやNHKでも使っている」と感慨深げ。

 10年ほど前、以前、脳の病気を患った道上アナに中村さんが電話をかけてきて、医者の紹介を頼まれたことがあったといい、晩年はパーキンソン病を患った中村さんを思い「あれがパーキンソン病の始まりやったんですね」と振り返っていた。