最近、驚いたことの1つに「人って、顔などの容貌は変わっても声は変わらない!」ということがあります。

 先日、大学時代の運動部の先輩20人ほどと、約30年ぶりに会う機会がありました。かつて、同じ釜の飯を食った濃い関係性を持つ間柄なので、30年たっても顔が分からないことなど決してないはず、でした。

 ところが…。髪の毛がなくなっていたり、メチャクチャ太っていたりすると、「この人誰?」。そんな人が数人いました。

 でも、声を聞くとすぐに分かるのです。容貌は激変しても、声は30年前とまったく変わらない。キーの高い人は相変わらず甲高い声で話すし、しゃがれ声だった人もそのまんまです。「へぇ~、人って声は変わらないんだなぁ」。そのことに驚き、“新発見”にささやかな感動さえ覚えました。

 ところが、歌手の歌声はすごく変わっているのです。

 これまた最近、大月みやこ、石川さゆり、坂本冬美らの曲をベストアルバムなどでじっくりと聞いています。当時の歌唱と現在を聞き比べると全く違うのです。

 大月の「乱れ花」、石川の「天城越え」、坂本の「あばれ太鼓」など、オリジナルには、若さを爆発させたパンチ力や迫力があります。一方で、年齢を重ねた現在の歌唱や声は味わい深く、抑揚が効いて、心に染み入るような歌い方になっています。

 野球の投手に例えると、かつてが150キロの剛速球をど真ん中にどんどん投げ込むイメージ。今はストライクゾーンの高低・左右の出し入れや緩急を使って、バッターを手玉に取るという感じです。

 「声帯も年を取る」と言いますが、それは歌唱などの特殊な場合に顕著に表れて、日常会話での声量・声域にはそれほど影響しないのでしょうか。

 今度、ご本人たちにも考えを聞いてみようと思います。