新人監督と無名の俳優が17年に作り上げたインディーズ映画「カメラを止めるな!」が映画の枠を超え、社会的なムーブメントを巻き起こした。18年6月23日に東京都内2館で封切られてから、観客の口コミで広がり全国350館超で拡大公開され、興行収入30億円超の大ヒットとなった。上田慎一郎監督(34)が日刊スポーツの取材に応じ一躍、時の人になった1年を振り返りつつ今の思い、19年の展望を語った。【村上幸将】

 -◇-◇-◇-◇-◇-

「カメ止め」の勢いは、年が明けても止まらない。18年12月5日にブルーレイとDVDが発売されて1カ月が経過しても、北海道から九州まで劇場公開が続き、4日には英国でも公開された。8日には18年6月23日の初日から上映を続ける東京・池袋シネマ・ロサで、公開200日を記念した舞台あいさつも予定されている。その中、上田監督は次回作に取り組んでいる。

上田監督 (19年は)映画を1、2本、撮ると思います。次の作品は春に撮影予定です。脚本は、まだ書いていませんし、企画も決めていません。「カメ止め」と同じ方式で(オーディションで選んだ)キャストを見てから、どの企画かを決めて脚本を書いていこうと思います。その後に、もう1本…今後、数年は映画(の話)はありますね。

世間の期待の高まりを肌で感じつつ、映画作りに集中したいと考えている。

上田監督 ハードルが、めちゃめちゃ高い状態じゃないですか? 通常運転に戻したいな、という状況ではありますね。黙々と映画を作っていきたい。例えば1年に1本作れば、80歳過ぎまで生きれば、あと50本は作ることが出来るわけじゃないですか? 映画監督によっては、一生で10本しか撮らないという方もいますけど、自分はどんどん撮っていくタイプなので。大きなことを言うと、あと100本は撮りたいですね。

一方で「別に、映画にこだわっているわけではないです」とも語る。18年12月にAbemaTVの「田中圭24時間テレビ」で、田中圭(34)主演ドラマ「くちびるWANTED」の制作に挑戦した。

上田監督 映画監督と言われるのに、ちょっとした違和感を覚える時はあるんですよ。ドラマや舞台でしか出来ないこともあるだろうし、それをやったことで、また映画を作る時に持ち帰ることが出来るものもあるだろうし。映画をメインストリームにしながらも、映画だけにこだわっていると視野が狭くなってくると思う。映画業界という、ある種のコミュニティーがあるので、そこの中だけにいるのじゃないというふうにしたい。もちろん、映画一筋という方もいてもいいと思いますけど、自分はいろいろなことをやって、他の映画監督では出来ないことが出来るんじゃないか? ということがありますね。

オンデマンド配信の普及など、映像の楽しみ方も多様化する中、映画を中心軸に置くことにこだわる理由は何なのだろう?

上田監督 僕は音楽も好きですし、映像ももちろん好きですし、お芝居も笑いも好き…その全てを1本、2時間の中に凝縮できる。やりたいことをバーッといっぱい書き出して、それをいかに1時間半から2時間の箱の中に入れるか、というところが、すごく楽しいんです。そういう制限がある方が、頭が働くし、1番、自分の肌に合うんだと思いますね。連ドラとかだと、またやりかたが違うじゃないですか? 映画は総合芸術と言われます。1番、バランスが良いメディアなんじゃないですかね?

日本映画史に残る大ヒットは連日、メディアに取り上げられ、社会現象的なムーブメントを起こした。その中で、ふと「自分にとって本当の幸せって何だろう」と考えたという。脳裏をよぎったのは、モチーフにしたTシャツを着るほど好きな、オーソン・ウエルズ監督の映画史に残る名作「市民ケーン」(41年)だった。新聞王に上り詰めながら、最後は孤独のまま死んだケーンを描いた物語を思い浮かべた。

上田監督 毎日、取材を受けたり、テレビやラジオに出たりということをして…さすがにいろいろな仕事がきすぎて、今は制限もさせていただいているんですけど。もちろん仕事はしますけども、やっぱり家族と過ごしたり、友だちとくだらない話をしたり、映画を見たり映画にまつわるレビューをラジオで聴いたりする時間が、たっぷりある…自分にとっての幸せって、多分、そっちにあると思って。とにかく18年は映画を見る時間がなくて…ストレスが、すごいんですよ! 「市民ケーン」など、スターになったことで家族や大切なものを失うという映画は今まで幾つも作られてきた。僕は、そこまでいっていないですけども、何となくその気持ちが分かったんですよ。

今後の夢は、何だろう?

上田監督 これから次の夢を探していかないとな、とも思っています。格好つけて言うわけではないんですけど…映画監督で成功したいというよりは、映画を作ることが出来る環境が、ずっとあればいいんです。大人になるにつれて、映画監督になる、もっともっと興行収入を上げないと、ヒットさせないといけない、賞を取らないといけない、とか、いろいろな目標が変わってきちゃうのがあるじゃないですか? 僕は、今でも映画を作ることが楽しい、好きだから、というところに置いておきたいんです。「カメラを止めるな!」も、これくらいのこと(大ムーブメント)になって大絶賛されても、全然ダメだったとすごくバッシングしている人も、いっぱいいる。どんなものを作ったって、批判する人はいるから、プレッシャーがないと言ったらウソになりますけど、そこまでは感じていないですね。次がどうなってしまうんだろうと、逆に自分も楽しみです。

「カメ止め」とともに、その先へ…上田慎一郎は走り続ける。

◆上田慎一郎(うえだ・しんいちろう)1984年(昭59)4月7日、滋賀県長浜市出身。中学時代に実家のハンディカムで自主映画を撮り始め、独学で映画を学ぶ。高校卒業後に上京も、ビジネス話にだまされホームレスになるなど20~25歳まで映画製作をせず。09年に映画製作団体「PANPOKOPINA」を結成し、10年に監督・脚本を担当した長編「お米とおっぱい」を製作もチャンスにめぐまれず、短編映画を国内の映画賞に出品し「カメラを止めるな!」製作につなげる。妻の、ふくだみゆき氏も監督として活躍。