今年4月に母校立大の客員教授に就任して、講座「現代社会における言葉の持つ意味」を担当する、フリーアナウンサー古舘伊知郎(64)。来月5日には“ロックの聖地”の東京・新宿ロフトで、トークライブ「戯言(ざれごと)」を開く。テレ朝のプロレス実況で人気者になった古舘は84年に退社してフリーとして活躍。そして04年から12年間の長きにわたり、テレビ朝日「報道ステーション」のキャスターを務めた。【取材=小谷野俊哉、山内崇章】

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震えましたね。その、いろんなことをやってきたつもりで調子こいてたけど、考えてみたら報道っていうのは全く未着手でしたし、だから、ちょっと興奮しました。

あんまり、「古巣のテレ朝」というのは考えなかったですね、7年しかいなかったから。それより、未着手の、未開拓分野にいく興奮と、ときめきと超~不安。やってないんだし、政治経済、得意じゃないんだから。だから、興奮と不安が本当に入り交じっていました。

しゃべりが過多の人間だから、報道なのに政治家とけんかになったりして大反省しました。黙りこくるようにしてね。でも、黙りすぎるとおかしいので、ちょっとしゃべるようにしたり。試行錯誤の12年でした。良い経験をしましたよね。(前番組の「ニュースステーション」の久米宏キャスターは)正直、うらやましかったですね。開拓者じゃないですか。NHK以外のニュース番組の中から、ニュースショーっていうのが民放で生まれた草分けじゃないですか。で、それを80年代前半くらいからやり始めるわけですよね。もちろん苦しい時期もあったけど、いろんな世界的な大きなニュースが流れて、事件が起きて、フィリピンの不正選挙とか大爆発とかね、そういうことでものすごく注目される。右と左、保守とリベラルがはっきりしてた時代でしたよね。

僕がやらせてもらった2004年はネットの台頭もあり、テレビ一極集中の時代ではなくなりつつあって、そしてニュースショーというのも言いたい放題でいいのかと。ニュースなんだから、脇を締めてかからないと大変な問題を引き起こすかもしれないということがありますよね。

「ニュースステーション」時代もいろんなことがありましたから。で、あとはさっき言ったように、右に対して左の座標軸から物を言ってりゃいいという時代でもなくなり、右と左、ずれましたよね。地殻が変動して、ズズズズーッて、移動して、今まで右側で言われてた人が、もはや左扱いされる。というくらい、地殻変動が起きて、世の中が変わったと思うんですよね。

今思うと楽勝の時代じゃないから勉強になりましたね。先人がすごかったから、とてもじゃないけどかなわないと思いながらやってたのが勉強になったし、少しは報道12年やると世の中のカラクリが見えてね、いろんなことがあるんだなと思うし、正しいことだけが正しいんじゃないんだと知る。世の中、薄いグレーゾーンがあってしかるべきで、きれいで、正義ばっかり唱えてたら正義原理主義になっちゃって、自分が成敗してやるみたいなね。

徹底的にネットで人をたたく時代にも、一部の人がなってるようだけど、僕はそういうの嫌なんで、いろんなことを報道時代に勉強させてもらった。今思うと、やっぱりMCやってる責任感といえば聞こえはいいけど、ものすごいわがままになってたし。もう、ディレクターとか制作陣とも毎日やりあってたし、迷惑かけたしね。古舘、お前の考えもあるかもしれないけど、こっちにはこういうニュースの伝え方があるんだよと。このタッチでやろうぜとか言ってるお前が憎い、という人もいっぱいいたと思う。だから、迷惑かけたなと、今思いますね。

今すっかり大人になりました。自分で言うのもなんですけど。やっぱり12年やって「報道ステーション」に埋没したわけで。土曜、日曜さえ使って取材に行ったり、原発問題やったり、ドイツ行ったり、いろいろやってたわけで、そういう意味では、すごく勉強になったし、苦労もして、埋没してたわけですね。埋没が良かったと思う。ただ、埋没が解けてシャバに出たら、甘いものが食いたくなって、血糖値下がってるんで。で、ちょっとバラエティーに出たり、10年ひと昔と言うけど、今、3年ひと昔だと思うんですよね。1秒、1秒、刹那、刹那の流れ方が早くなってるでしょ、(ネットの世代が)5Gになったら3時間の映画3秒で落として(ダウンロードして)くれるわけだから。

言ってみれば1時間が1秒ですよ、早いんですよ。絶対時間では12年報道やってたにすぎないけれど、「報道ステーション」を12年やって、やめさせてもらって、バラエティーに“里帰り”しようなんて思ったら大間違いでしたね。

やっぱりそれは、故郷を捨てて12年、違う場所で海外で頑張って、12年たって故郷に都合よく戻って、みんな元気? って言ったって、知らねーよ、お前、12年間こっちは、いろいろあったんだよと。お前の12年はテンポ早い時代だから、30年以上たってんだよというくらい、浦島太郎。だからバラエティーからずれていたというんですかね、感性が。そこは思い知らされましたね。報道やめてから。自分がやってたのは、ずいぶん昔のバラエティーなりスポーツなんで。

今の時代、テレビのありよう、作り方が変わってるじゃないですか。短いフレーズでパンと受けて、パンとコマーシャルに行ってとか、バラエティーを編集していくとか。ちょっと僕がアナログすぎたかなと。(続く)

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◆古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)1954年(昭29)12月7日、東京都生まれ。立大卒業後の77年にテレビ朝日入社。同8月からプロレス中継を担当。84年6月退社、フリーとなり「古舘プロジェクト」設立。85~90年フジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE、SUPER」司会。89~94年フジテレビ系「F1グランプリ実況中継」。94~96年NHK「紅白歌合戦」司会。94~05年日本テレビ系「おしゃれカンケイ」司会。04~16年「報道ステーション」キャスター。現在、NHK「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」(木曜午後7時57分)司会など。血液型AB。