元テレビ朝日の取締役編成・制作局長で、プロデューサーとして萩本欽一(79)、タモリ(75)、ビートたけし(74)などを起用したヒット番組を送り出した皇(すめらぎ)達也ジャパン・コンテンツ・コンサルティング社長が20日午後11時45分に都内の病院で肺炎で亡くなったことが21日、分かった。79歳だった。

皇氏は慶大を卒業して、64年にNET(日本教育テレビ=現テレビ朝日)に入社。ドラマスタッフを経た後に、バラエティーや音楽番組を担当して、数々の人気番組をプロデュースした。

元々教育チャンネルとして設立され、堅実な番組作りで知られたテレビ朝日に新風を送り込んだ。76年に萩本欽一を起用したバラエティー「欽ちゃんのどこまでやるの!」を最高視聴率42%を記録する超人気番組に育て上げた。同年にはトップアイドルだったキャンディーズと伊東四朗、小松政夫さん(享年78)をバラエティー「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」に起用して「電線音頭」をヒットさせた。82年には山城新伍さん(享年70)を司会に起用して音楽番組「笑アップ歌謡大作戦」を立ち上げた。

タモリを起用して、82年に深夜バラエティー「タモリ倶楽部」、86年には「ミュージックステーション」と今に続く人気番組スタートさせた。85年にビートたけしを起用して「ビートたけしのスポーツ大将」で、スポーツバラエティーの分野を築き上げた。バラエティーや音楽番組で次々とヒット番組を作り上げ、名前をもじって「テレビ朝日の天皇」と呼ばれた。

01年にテレビ朝日サービス社長就任。06年にジャパン・コンテンツ・コンサルティングの社長に就任して、番組制作や後進の育成に当たっていた。