福田こうへい(45)が、7日に都内で開催した「10周年記念スペシャルコンサート」を見た。新型コロナウイルス感染予防対策で、昼夜2公演の各公演は収容人数の半数の約750人に制限された。だが、全身全霊をかけて歌う福田の熱唱に、まるで超満員の観客がいるような盛大な拍手が巻き起こった。

福田はもとは民謡歌手である。12年の「第25回日本民謡フェスティバル」でグランプリを獲得。日本一の称号を引っさげて、同年10月24日発売の「南部蝉しぐれ」で演歌歌手としてデビューした。故郷を思う人、壁に突き当たった人など、聴く人の心をふるわせ、大ヒットした。その後も「峠越え」、日本作詩大賞の「天竜流し」、日本レコード大賞最優秀歌唱につながった「筑波の寛太郎」など次々とヒット曲を出し、押しも押されもせぬ人気歌手となり、10周年を迎えた。

信念は「選ばれる存在でいたい」。その原点は、11年3月11日に起きた東日本大震災にある。

震災からわずか3週間後に、福田は各地の避難所で歌ってほしい、と願われた。民謡歌手として県内での知名度は抜群だった。交通網が寸断され、混乱が続く中である。福田は民謡仲間とワゴン車1台に乗って、山田町や釜石市などの避難所を回り始めた。

福田は当時をこう振り返った。「声を掛けてもらったんです。こっちから『激励のため歌わせてもらえますか』など言える状況ではまだまだなかったのに、歌ってほしいと声を掛けてもらったんです」。

避難所は、悲壮な雰囲気が漂っていた。親族を失い、家を失い、何もかも失った被災者が、段ボールで仕切られたわずかな空間の中で耐えていた。福田は「早い段階で声を掛けてもらったのはすごくうれしい半面、避難所は大変な状況でした。興味のない人は段ボールの壁から顔も出してくれない。聴きたくない人は体育館から出ていく。それでも考えているよりまず歌おうと思った」という。

この経験が今につながる信念「選ばれる存在でいたい」になった。

福田は「聴きたいと言ってもらい、来てくださいと声を掛けてもらえたから、震災直後の状況でも歌を届けられた。その時、人に選ばれる存在でいたいと強く思いました。選んでもらうために、どうしなければいけないのか。歌手として本気で頑張ってみようと強く思うきっかけでした」と話した。そうして、翌年「南部蝉しぐれ」が発表され、演歌歌手・福田こうへいが誕生したのである。

常に全力で歌い、全力で観客席も駆け回る。方言そのままのトークで観客を心底楽しませる。まさに全力投球である。「こっちに合わせてじゃダメ。一生懸命やっていることが伝わらないと、感動も伝わらないし、手抜きをしているんじゃないかと見られる。お客さんは審査して、選んでくれる先生なんです」。

今も毎年、被災地で復興支援無料コンサートを開催している。福田のライフワークである。「10年はあっという間だった。10年、20年とこれからも(東日本大震災の)被災者の方はもちろん、多くの方に自分の歌で元気をつけてもらえるように、頑張って一回りも二回りも大きな歌手になりたい」と誓った。

福田の10周年は、東日本大震災からの丸10年と重なる。歌手の夢舞台であるNHK紅白歌合戦は17年以降、遠ざかっている。多くの被災者が福田に東北代表として出演してほしいと願っている。「選ばれる存在でいたい」が信念の福田は、選ばれていい存在であると思う。【笹森文彦】