コメディアン、ぜんじろう(53)が、スタンダップコメディーの普及にまい進している。16年に「日本スタンダップコメディ協会」を立ち上げて副会長を務める。90年代前半に「平成の明石家さんま」としてブレーク、そしてスタンダップコメディーの旗手となるまでの歩みを聞いた。

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00年代、作家やディレクターの指示する通りに芸人が演じるネタ番組が増える中で、ぜんじろうはロボットと漫才をやるなど独自の道を突き進んでいた。そしてスタンダップコメディーを突き詰める道に進んだ。

「漫才とはなんだろうとか言う、評論家のような人が増えてきた。本当にそれは、インテリジェンスで語ってる人少ないんですよ。上から見ていて、おもろいか、おもろないかで言ってるんじゃないんですよ。例えば、M-1自体を認めないという人が出てきても、いいわけじゃないですか。それよりも、強いものをほめて、弱いものをたたく。そういう“評論家”が多いんで。いろんな楽しみ方があっていいんですよ。でも、そうじゃない相撲に番付付けるみたいに、マニアックに見ていて、そしておもろないのをたたくという。そこがメインになってしまってるとこもある」

おもろいか、おもろくないかではなく、たたくためにお笑いを見る。その風潮に警鐘を鳴らす。

「そういうのができて、うらやましいとこもあるんですけど。そこは違うとこで盛り上がりたいかなーっていうのがある。そこがスタンダップコメディーだったらいいかなと」

53歳になった。同世代にはテレビで活躍する東野幸治や今田耕司がいる。

「うまいですよね、人間関係。日本の芸能界は人間関係が大事ですから。すごい昔から、とんがってる時期から知っているけど、組織の中でも主張してやっている。僕がよく言われるのは、森脇健児さんみたいになれって。後輩からいじられて、突っ込まれてね。僕には、なかなかできない。あれはあれですごいんだけど。僕は腹をくくれない」

30年に及ぶ軌跡を振り返って、この先を見据える。

「この先はスタンダップコメディー。今、政治についてやっている人はいない。政権批判やってる人はいるけど。僕は政治を全方面から見て、ただ弱いのはいじらない。なによりもスタンダップコメディーをこの国に根付かせたい。大人の笑いを確立させて」

漫才やコントは弛緩(しかん)して見られるが、スタンダップコメディーは堅苦しい気もする。

「全然、緩くて構いませんよ。下ネタもありなんです。演芸場に中学生を入れて、下ネタをやれないみたいになっているけど、下ネタって大人の笑いなんですよ。下の話でセックスがどうのこうのと。ティーンエージャーには聞かせちゃ駄目じゃないですか。その辺がゴチャゴチャになっている。こういう風に(記者が)しゃべってはんのもスタンダップ(コメディー)ですよ。だって、思ってることしゃべってるじゃないですか。別にそこにはボケ、突っ込みはない。自分が面白いか、面白くないかで。堅いと思われているのは、僕が間違ってるわけで。全然、楽に見てもらっていいですね」

(続く)

◆ぜんじろう 1968年(昭43)1月30日、兵庫県姫路市生まれ。大阪芸大芸術学部デザイン学科中退。87年、上岡龍太郎に入門、吉本興業に所属。88年月亭かなめとの漫才コンビ、かなめ・ぜんじろう結成。同年、今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで福笑い大賞。89年(平元)、ABCお笑いグランプリで最優秀新人賞、上方漫才大賞新人奨励賞も、解散してピン芸人に。92年、毎日放送「テレビのツボ」司会でブレーク。95年「超天才・たけしの元気が出るテレビ!!」。98年渡米。01年帰国。170センチ、57キロ。