「ほうろう」などで知られるシンガー・ソングライターの小坂忠(こさか・ちゅう、本名・小坂正行=こさか・まさゆき)さんが29日、埼玉県内の自宅で亡くなった。73歳だった。妻で所属事務所トラミュージックの小坂(高)叡華代表取締役プロデューサーが同日、公式サイトに以下の文書を発表し、亡くなったのは同日午前10時43分で、死因は全身がんによる肝不全と公表。関係者によると叡華さん、娘、孫娘にみとられた幸せな最期だったという。

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「お知らせ 4月29日10時43分 牧師そしてシンガーソングライターの小坂忠は、5年前に発症したS字結腸癌から転移した全身癌による肝不全との闘いを終えて天に凱旋しました。デビューから55年の幸せな音楽人生でした。セキュラーミュージックとクリスチャンミュージックの両方で多くの人々に愛され愛唱された事は身に余る光栄でした。これまでのご厚情を心より感謝いたします」

「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。~中略~ しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。」新約聖書ヘブル人の手紙より」

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小坂さんは1966年(昭41)にロックグループ「ザ・フローラル」を結成し、68年にはデビューを果たす。翌69年には、はっぴいえんどやYMO結成前の細野晴臣、松本隆氏を加えて「エイプリル・フール」を結成。同バンドが解散すると、71年に初のソロアルバム「ありがとう」をリリース。72年には「小坂忠とフォージョーハーフ」を結成し、NHK「おかあさんといっしょ」の作曲も手掛けた。75年にリリースした「ほうろう」は、リズム&ブルースの元祖的な作品として日本の音楽界に影響を与えた。レコーディングには細野のほか林立夫、鈴木茂、松任谷正隆、矢野顕子、吉田美奈子、山下達郎、大貫妙子、矢野誠と日本のポピュラーミュージックを作り上げた面々が参加した。

76年にクリスチャンとなり、自身の事務所「トラミュージック」を設立すると、78年にはゴスペルレーベル「ミクタムレコード」を設立。現在まで50タイトルを超えるゴスペルアルバムを制作し、世界各地で公演を行った。

21年11月には、松本氏の作詞活動50周年記念ライブ「風街オデッセイ2021」に出演していた。3月1日には自身の公式サイトに「自宅療養」と題した文書を寄せ「只今、体力回復のため自宅療養中。大腸癌ステージ4との戦い、頑張ってま~す。そして、ウクライナのため祈ってます。」とロシアのウクライナ侵攻を憂えていた。