劇団「ワハハ本舗」の座長でお笑い音楽ユニット、ポカスカジャンの大久保ノブオ(55)が、来月7日に東京・渋谷のラ・ママで単独ライブ「ノン様の『日記の歌』2022夏~フーテンの寅さんならぬ、フーテンの喰さんが我が家にやってきた!!」を開催する。

単独ライブ「日記の歌」が始まったのは、04年のドリフターズいかりや長介さん(享年72)の死がきっかけだった。

「誰に聞かせるっていうわけでもなく、長さんの思い出から『オイッス』って曲を作ったんです。それを、うちのワハハ本舗社長の喰始が『お前はそういう、本当にあったことを歌にするのが合ってんじゃないの』って。そう言われて始めたのが、この『日記の歌』なんです。08年ぐらいからかなりやっています」

この2年間のコロナ禍では、数多くのコンサートが中止になった。

「単独ライブは1回だけやりました。それはベスト版、CDになってる歌なんです。ビートルズのアルバムで言うと赤バージョンです。それで青バージョン、CDに入っていない曲だけのライブをやろうとしたら、感染者が増えて延期になったままだったんです。だから、今回は半分新曲で、半分がその青バージョンでやろうとしていた、ライブで1回くらいしかやってない曲でやろうかと。全部でアンコール入れて13、14曲ですね」

今回の単独ライブ開催のきっかけは、タイトルの「フーテンの寅さんならぬ、フーテンの喰さんが我が家にやってきた!!」から。1年前に引っ越した東京・西荻窪の大久保の家にワハハ本舗の社長にして主宰者の喰始氏(74)が強引に泊まりに来たのがきっかけだった。

「西荻窪に映画の話のできる店があって、今年の2月に喰さんと、そこで飲んだんです。そうしたら突然『泊まる』って言い出したんです。25年以上のつき合いになるんですが、そんなこと言い出したのは初めてです。あの人は自分の家には泊まりに来てほしいけど、自分が泊まりに行くなんてことは、今まで1度も言ったことないんですよ。それが突然、行くぞって言い出したんです。怖いですよね、嫁もいるし。それが日曜日で、僕は翌日の月曜日に静岡でラジオの仕事が入っているんで朝には出発しちゃう。それでも強引に、この日は『絶対に行く』って言って来たんです。それで、来たと思ったら、もう来た瞬間にですよ、うちの嫁がいるのに、俺のダメ出しですよ。『人間として、やめなさい。こんな調子いい男はいないわ、こんな男のどこがいいんだ』って。人の家に来といて言い出して『こんな男だったら、俺、奪えるよ』みたいなこととかを嫁に言うんですよ。意味分かんないですよね。『どうせこんな男、浮気してるんだよ』とか。そんなこと言いますか、社長が部下の家に来て。そういうことを散々言って帰っていったわけで。大げんかですよ」

朝は「なんで寝かしといてくれないんだよ」とブーブー文句を言う喰氏を強引に起こして家を出た。

「月曜はワハハの大事な会議があったから起こして、一緒に家を出たんです。僕は静岡のラジオへ。だけど喰さんは、結局その後に、サウナに行ったりしたけど酒が抜けなくて、会議をサボってますから(笑い)。ただ、この日が起爆剤になったというかね。僕の『日記の歌』って、人と飲んだり、1人で海外に行ったり、なんか面白い経験を歌にしてるから、コロナ中って経験できないじゃないですか。もう家にいるだけなんで。この日に、なんかこじ開けられた気がして。よし、やっぱり面白いもん探さなきゃって。コロナ禍だけど、そこからね、いろんなことが起きてきた」

喰氏は、今後は寅さんのように、他人の家を泊まり歩く願望を持っているという。

「やっぱり喰始ですね。ええ、こじ開けられました。このコロナの閉塞(へいそく)感を破る。破るっていうか、人の家に来て、泊めてくれと。そして帰るときはフーテンの寅さんみたいだと、オレは思ったの。今後は、人の家に泊まり歩きたいと言ってるんですよ。『今後は寅さんみたいになりたいんだ』って宣言したんです。ワハハの若手なんて6畳一間に風呂なしとかに住んでるんですよ。そこへ74歳独身が泊まりに行く(笑い)。まあネタにはなります。なんだったらYouTube用にカメラを回そうかと(笑い)」

上司である社長の喰氏をいじり倒す大久保だが、尊敬もしている。

「喰始のすごいひらめきでした。ツアー中に誰かが年老いた犬の歌を歌ってると。それを夢に見たらしいんです。『お前、犬好きだろ、作ってみろ』って言われて『老犬』いう歌を作りました。それがちょっとヒットして、テレビでもちょいちょい歌った。で、喰さんは夢で当てた“夢占いおじさん”みたいな気になって(笑い)。でも、やっぱりすごいんですよ。本来作り手であるけど、喰さん自身の人格、存在が。もうネタの塊というか、ジェル」

喰の思いを受けて、今回作った曲がある。

「1曲だけ熱い曲があって、それも喰さんに聞かせたら『これは、いい歌だ』と。『お前が歌うとちょっと若い目線だから、若手のための歌だったっていう風にして歌ってみたらどう』みたいな。この辺のプチチェンジが、やっぱりうまい。まだね、タイトル未定なんですけど『道』っていう曲なんです。道の横にハッシュタグ付けようと思って。みんな、いろいろな道を歩いてるから。『#道』で、これが今回の新曲の中ではまあ、目玉的なものになるかも」

今回の会場となる東京・渋谷のライブハウス「ラ・ママ」は有名ロックバンドを輩出していると同時に、東京のお笑い界にとっては渡辺正行(66)が主宰する「ラ・ママ新人コント大会」の舞台でもある聖地だ。

「今回、『日記の歌』で初めてラ・ママ。ここは元々、僕がそのバンドマン時代にドレッドヘアで、ウルフルズなんかと一緒に出ていたところなんです。その頃は月に1回やっているコント大会を、なんだろうと思っていた。ジュン・スカイ・ウォーカーやミスチルも出ていました。それが、まさかその何年か後にオレがワハハ本舗に入って『はい、どうも~』って出てる(笑い)。爆笑問題さんやネプチューン、Uターンもいたんですよ。まあ、あのラ・ママでロックと芸人で出てるのは多分、私しかいないと思います」

今月3日に66歳で亡くなった渡辺裕之さんには無名時代からかわいがってもらった。

「びっくりしました。最近、あんまりお会いしてなかったけど、年賀状のメールでは毎年、『おめでとう』をくれました。家にも呼んでもらったし、ドラムのスティックの使い方を弁当の箸で教えてくれたのも覚えています。つらいですけど、頑張ります」

笑いも、涙も、つらさも、理不尽な上司も、歌にして、そして笑いに昇華する。【小谷野俊哉】

◆大久保ノブオ 1967年(昭42)5月3日、長野市生まれ。アマチュアロックバンドで活動しているたが、96年に劇団「ワハハ本舗」に入団してポカスカジャン結成。ボーカル&バケツドラム、ハープ。相方はタマ伸也(53)。