落語家三遊亭円楽さんが72歳で亡くなってから一夜明けた1日、円楽さんが16年に得度した群馬・前橋にある釈迦(しゃか)尊寺の住職・山崎奎一さん(79)が都内の自宅を弔問した。

先代圓楽さんと交流があったという山崎さんは、円楽さんとは約45年来の仲だという。「ああ早かったなと。私より7つ下だからな」と残念がった。

公演後によく食事にいったことなどがきっかけで深い付き合いになったという。群馬での落語会やゴルフでも親交を深めた。「円楽継いだら、もう落語が上手なってね。安心しました。流ちょうに落語家していたけど、今度は重みが出てきてね。本当に5代目じゃないけど、名人圓楽じゃないけど、入り口に差しかかってくるような話っぷりでね」と懐かしがった。

自身と性格が似ているところもあり、ウマが合ったという。16年に実現した円楽さんの得度は山崎さんのリクエストでもあったという。

「勉強家でもあったし、やっぱり気を使う、気心を使う、気が回る、そういう男だったから、そうだったら『坊さんならないか』っていう。お寺の和尚もたくさん知ってるし、そういうところに行って人が集まったときに話したり、もちろん落語をやってみたりしてるもんだから、仏の勉強もよくしてたから、俺なんかなかなか思うようにいかないから、その方が助かるって言ったら『いいよ』って」

円楽さんは生前、お墓も釈迦尊寺に購入していたという。

山崎さんはこの日、前橋から車で上京してきた。涙を流すつもりはなかったが、「飯田橋のところにきたらね、もうダメ。『お前なんでこんな早く』って泣きながら来て。(家に)入った途端、何でこんな早く逝くんだって涙が出てきちゃった」とこらえ切れなかった。

最後に会ったのは昨年末。今年6月に自宅を訪れて連絡をしたら、円楽さんが点滴を打っているということで、「じゃあいいや、また来るわいということで、手荷物だけおいて私は帰っちゃった」と話し、その後会うことはかなわなかった。電話の行き違いも何度かあり、今年のお盆前に連絡をとったのが最後だったという。

円楽さんの人柄を「おおらかだった」と明かし「彼も私も、もっとやりたいもの、あれもやりたいものってあるけども、人間そんな欲深くないから、8割成就すればいいんじゃないと思いながらさ、運転してきたんですよね。自分の思ったことが100%できるなんてとんでもない話で、8割(成就)すれば、円楽満足したんじゃねえかなと思いながら車を運転してきたの」と明かした。

伝えたいことを問われると「もう『お疲れ。満足だろう』と言いたいね。『何か不足があるかい』って言いたい。『満足だったろう』って」と話した。