9月30日に72歳で亡くなった三遊亭円楽さんが出演していた日本テレビ系演芸番組「笑点」(日曜午後5時30分)が9日、放送された。番組は「緊急企画!円楽さん追悼大喜利」と題して放送した。

冒頭で司会の春風亭昇太があいさつし「笑点の時間が参りました。司会の春風亭昇太です。9月30日、三遊亭円楽師匠が旅立たれました。私も円楽師匠の復帰を信じていたので、とても驚きました。40年以上、笑点メンバーとして番組を支えてくださったので、今回は『ありがとう円楽さん大喜利』をお送りしたいと思います」と語った。

円楽さんが座っていた左から2番目の席には、円楽さんカラーの紫色の着物を飾り、大喜利がスタート。レギュラーの三遊亭好楽、三遊亭小遊三、林家木久扇、林家たい平、桂宮治、山田隆夫が出演し、最初は俳句や川柳が得意だった故人をしのび、メンバーそれぞれが「円楽さん」を頭につけた川柳で自己紹介した。

小遊三は「円楽さん、大谷越えの二刀流。辛口の答えも、おちゃめなだじゃれもうまく使い分けていましたね。円楽さん、あなたは笑点のMVP。小遊三です」と語った。

たい平は「円楽とアクリル越しのグータッチ。いつかアクリル板がなくなったらグータッチしようねと言っていた、その円楽師匠がいなくなってしまいました、もう夢はかないません。でも僕が笑点にはいってからずっと右にいてくれたのが円楽師匠でした。とても心強かったです。これからも見守って下さい。たい平です」。

木久扇は「円楽がもう歌丸と口げんか。おそらく仲良く口げんかしていると思います。私はけんかが嫌いなので、そちらに参りません。林家木久扇です」。

好楽は「円楽は口は悪いが根は優しい。毒舌と言われていましたけど、そうじゃないんですよ。気の優しい子なんですよ。52年間も付き合ったんですよ。兄弟子の好楽が言うから間違いないでしょう」。

宮治は「円楽さん言葉の剣で世相切り。ペンは剣よりも強しと言いますよね。まさにそれを実現する師匠でした。はなし家としてすてきでした。私も見習いたいです。宮治です」。

ラストの山田は「円楽さん、45年ありがとう。45年もお客さんを楽しませること、本当にね、すごいことなんですよ。円楽師匠に座布団10枚。山田隆夫です」と涙ぐみながら話した。

その後は円楽さんの過去の映像をモニターに映して行う大喜利のほか、円楽さんへ向けた「○○してくれてありがとう」といったテーマでの大喜利も行い、感謝を伝える内容となった。最後は円楽さんの席に座布団10枚が積み重ねられ、大喜利は終了。昇太が「いつも笑点のことや落語会全体のことを考えてくれた師匠でした。これからも番組のことを見守ってくれると思います。円楽さん本当にお疲れさまでした。ありがとうざいました」とあいさつし、番組を締めた。

円楽さんは約45年間にわたって「笑点」のレギュラーメンバーを務めていた。逝去後初の放送となった2日の回では番組冒頭に司会の春風亭昇太が追悼メッセージを語ったほか、約10分間にわたって追悼VTRを流して対応。日テレは10日午後3時50分からも「笑点・円楽師匠追悼特番」(仮)を放送する。

円楽さんは1月に脳梗塞で入院以降、出演を見合わせる状態が続いていた。2月6日放送分から直近の9月25日放送分までは計34回にわたり、代役が週替わりで出演。日テレは77年から約45年間にわたって出演してきた円楽さんの復帰を待つ構えで、桂文珍や春風亭小朝、笑福亭鶴光、立川志らくら大物落語家が穴を埋めたほか、6月以降は若手が大喜利の回答席に座ることもあった。「笑点」関係者によると、円楽さんは休場扱いで、収録現場の楽屋にも時折、顔を出していたという。

日テレは今回の訃報を受け、今後の対応については「検討中」としている。