ミュージカルで活躍する女優熊谷彩春(いろは)を取材した。27日開幕のミュージカル「東京ラブストーリー」を前に、作品への思いと、ミュージカルへの熱い気持ちを聞いた。子供のころからの夢をかなえることがいかにまれなことで、努力に裏打ちされているかを聞くことができた。

もともと歌うことが好きで、家ではいつも音楽が流れていたという。父の仕事の都合でロンドンに住んでいた3歳の時、初めてミュージカル「ライオン・キング」に連れて行ってもらい、衝撃を受けたそうだ。

動物の仕掛けやパペットたちがたくさん登場する作品。ちょうどキッズデーのような日で、子供たちにフラッグが配られ、カーテンコールではフラッグを振って存分に舞台と一体になった。帰って来てからも自作のパペットで遊んだ。本場で多くの作品に出会い、おもちゃのマイクを持ってソファをステージに歌う、そんな経験が熊谷の歌心、芝居心を育んだ。

日本でミュージカルスクールに通った後、子役として劇団四季のミュージカルに出演し、今度は舞台に立つという喜びを肌で知った。その後、父の転勤でマレーシアに引っ越さざるを得なくなった時は、ミュージカルから離れてしまうと大泣き。しかし恩師に、いろんな世界を自分の目で見て体験することが役者としていつか糧になる、と背中を押してもらった。熊谷は「案の定、本当に楽しくって、いろんな国の友達たちができて、今でも交流が続いています」と笑った。

熊谷は、環境が変わった後も努力を続けて、マレーシアでも歌のレッスンは続けていたという。中3で帰国しクラシックも勉強しはじめた。コンクールで優勝もした。順調そうに見えるが、熊谷は「ミュージカル俳優になりたいと思ってもなれるものではないですし、すごく不安定な時期でした」と振り返る。「子供のころからなりたいと思っていたものになれなかったら、どうすればいいんだろうと思っていました」とも続けた。

転機は19年の「レ・ミゼラブル」だった。これまでの最年少でコゼット役のオーディションを勝ち取った。熊谷いわく「もう死にものぐるい、何がなんでも受かりたい、と必死でした。本当に両親も心配するぐらいレミゼにかけてました」。合格しプレッシャーはなかったのかと聞くと「コゼットのように、本当に私の人生が始まった、そんな感じで、世界が180度、360度違って見えて、新しい第一歩になりました」。

その後はコンスタントに出演作を重ねている。もちろん演じる苦しみもあるが、作品のためにできることはすべてやるという信条でやってきた。今回も、役づくりのために、1人で愛媛に行ったり、友人にお願いして保育士の1日体験をした。「幼稚園のシーンで『ああ、疲れた』という感じの疲れ具合が分かりました!」と話した。

先輩や仲間たちの支えにも感謝しながら、話した言葉が印象的だった。

「今でも、3歳の時にソファの上で歌い踊ってた時と気持ちは変わらないといえば変わらないんです。将来が不安定な時期が一番苦しかったんですが、思い続けてきたことができていることは、本当に恵まれてることだなと思っています。努力したからといってなれるわけではないけど、努力はやはり選択肢とを広げて、たどり着くまでの切符を増やしてくれると思うんです」【小林千穂】