演歌歌手原田悠里(67)が30日、都内で、40周年記念公演を行った。この日発売の新曲「淡月」やミリオンヒット曲「木曽路の女」、故郷・熊本県天草のご当地ソング「天草の女」などを歌唱しファンを楽しませた。「先輩を応援するために」と、後輩の水田竜子と水城なつみも駆けつけた。

1982年(昭57)6月5日に「俺に咲いた花」でデビュー。師匠北島三郎(86)がデビューしてちょうど20年後だった。歴代の北島ファミリーの中でも同じデビュー日は原田しかいない。

鹿児島大教育学部音楽科を卒業し、クラシックを学んだ原田は演歌界では異色の存在だ。ころころコブシが回るわけでもなく、演歌独特の間の取り方が得意なわけでもない。それが、現在では多彩な曲を歌えるという『武器』になっているが、当時はコンプレックスだった。周囲の大きな期待とは裏腹に、レコードの販売枚数も思ったほど伸びずに低迷していた。

デビュー2年後、4作目のシングル「さよなら」を発売するころには、キャンペーンで回ったレコード店で「いやぁ~。原田悠里も『さよなら』か」とからかわれることも。そんな時、普段は無口な北島が「つらい時に頑張っていれば必ずいつか花が咲くから」とサラリと激励した。その一言を心の支えに努力を続け、次作の「木曽路の女」がミリオンヒット。このブレークで「原田悠里」の名前を全国に知らしめた。

NHK紅白歌合戦に初出場したのは1999年(平11)。デビューから17年たっていた。この日の40周年記念公演でも歌唱し、ファンから大きな拍手を浴びた「津軽の花」を歌唱した。この時、歌い終えた原田に北島が言った言葉は「良かったよ」。40年の歌手人生で、北島から面と向かって褒め言葉を言われたのはこの1回のみ。原田は決して忘れられないという。

40年、プロ歌手として歌い続けることも大変なことだが、原田は「『木曽路の女』の原田悠里、『津軽の花』の原田悠里と言っていただくことも光栄ですが、もう1つの原田悠里を確立したい」と、令和の代表曲を作ることを求めている。視線はすでに45周年、50周年に向いている。