「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のドラマーとして活躍したミュージシャン高橋幸宏さんが1月11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥(ごえん)性肺炎により70歳で死去したことが15日、所属事務所から発表された。後日、お別れの会を執り行う予定だという。

喪主で妻の高橋喜代美さんがコメントを発表した。「2020年夏に判明した脳腫瘍の摘出手術は成功裡に終わり、その後は復帰に向け度重なる治療と入退院を繰り返しながらリハビリに真摯に向き合ってきました」。そして「昨年11月よりは自宅にて療養しておりましたが、年末から容態が悪化し帰らぬ身となりました。

本人は元より家族親族と最善を尽くしてまいりました。なによりも携わっていただいた医療関係者の皆様に深く感謝致します」とした。

ここ数年は、病気との闘いが続いていた。20年の初夏を迎える頃から頭痛が続き、検査を受けたところ脳腫瘍の疑いと診断され、同8月に脳腫瘍の摘出手術を受け、同10月に退院した。

ところが21年6月にはツイッターで「まんまと嫌な予感が当たり、僕はまた別の治療を始めます」と病名こそ明かさなかったものの、別の治療を始めたことを明かし、同8月には「手術からほぼ1年。この間、治療を続けながら音楽制作活動を行って参りましたが、ライブのための充分な体力の回復にもう少しだけ時間がかかりそうです。しばらくライブはお休みとさせていただき、治療に専念して参ります。近い将来、元気な姿で皆さんとお会いできるように」と、治療に専念してきた。

昨年6月の誕生日翌日には、インスタグラムで「みんな、本当にありがとう。from ユキヒロ」とつづって、療養する様子も伝えた。同9月には、プロ音楽活動50周年や生誕70周年を記念したライブも開催されたが、高橋さんの出演はかなわなかった。

高橋さんは、1952年(昭27)、東京都生まれ。加藤和彦率いる「サディスティック・ミカ・バンド」に参加の後、78年ソロデビューアルバム「サラヴァ!」を発表。同年、細野晴臣(75)坂本龍一(70)と共にYMOを結成。高橋さんが作曲した「ライディーン」などがヒットし、国内外に社会現象的なテクノポップ・ブームを巻き起こした。

 

83年にYMO散開(解散)後も、ソロやさまざまなユニットへの参加、アーティストへの楽曲提供やプロデュースなど数多くの作品を発表。ファッションデザイナーとしての顔も持つなど、多才だった。