タレント伊集院光(55)が19日放送のニッポン放送オールナイトニッポン55周年記念「伊集院光のオールナイトニッポン(ANN)」(午前11時)に出演し、33年前の同番組で生み出したバーチャルアイドルの草分け的存在「芳賀(はが)ゆい」について振り返った。放送中から「#伊集院光」「#芳賀ゆい」がトレンド入りした。

伊集院は、冒頭から音楽メディア「DAT」の話題など、番組が放送された88年から90年当時のラジオ環境を回想。自身は午前1時開始の「1部」の経験はなく、午前3時開始の「2部」担当だったことを説明し「2部って、メチャクチャな人が出ていた」と振り返った。ラジオでは空想や架空の設定をベースにしたトークが多数あったことも触れる中で、伊集院は自身のANNで生み出したアイドル「芳賀ゆい」についての話題を切り出した。

伊集院は「『芳賀ゆい』企画があたるんです。架空のアイドルの女の子を作って、ラジオリスナーに『あの子をどこで見た』とか『あの子の同級生だった』とか、『あの子のライブに行ったことがある』っていう話が出てきたり。『あの子はポニーテールがかわいいよね』っていう話がでると、ポニーテールってことになる。本当はいないのに」と、リスナーの言葉で、現在でいうバーチャルアイドル的存在の「芳賀ゆい」像が作り上げられていった歴史を紹介した。

伊集院は「曲まで出すんだけど、この曲と企画がすごい当たるわけ。この曲が当たって『芳賀ゆいのオールナイトニッポン』の1部をやることになるわけ」と続け、「俺、関係ないの。俺は(1部オープニングの)ビタースウィート・サンバやってなく、ウソつきの作ったウソが」と笑った。

さらに「昼間のニュースでも取り上げられるようになる。『芳賀ゆい現象』って。いもしないアイドルをみんなに盛り上げるのがすごい面白い、画期的だって」と当時の反響を説明。「朝のワイドショーのコメンテーターが『芳賀ゆい』が何か、って説明するわけ。それが『ある深夜放送のパーソナリティーが』ってずっと言うのね。え、『ある深夜放送のパーソナリティー』よりも『伊集院光』の方が言いやすくない? って思う」と、生みの親でありながら置き去りになったことを自虐し「どんどん『芳賀ゆい』が売れていって、途中から『芳賀ゆい』に嫉妬し始めるっていう。相当、病気な状態」と苦笑いした。

「芳賀ゆい」のデビュー曲「星空のパスポート」もオンエア。ポップな楽曲が終わると、伊集院は作詞を担当したユニコーン奥田民生に、最近会った際に記憶をたずねたことを明かし「『冷静になって読んだら笑っちゃった』って(民生が)言ってたから、たぶん酔っぱらって書いてる」。そう笑いながら「懐かしかったですね」としみじみ語った。

芳賀ゆいは、リスナーからは続々と生い立ちや家族構成、スリーサイズまで、細かい意見が寄せられ、その横顔が固まっていった。人気の高まりによってイベントなども行われ、歌唱、ラジオの声、握手会、撮影会など、出番によって複数の人物が「芳賀ゆい」を分担した。期間限定で「芳賀ゆいのオールナイトニッポン」も1部で放送。架空の人物とは知らずにCM出演を打診する連絡などもあったという。