お笑いタレントのぜんじろう(55)が2日、自身のツイッターを更新し、81歳で死去した師匠の元タレント上岡龍太郎さん(本名・小林龍太郎)を悼んだ。

上岡さんの弟子だったぜんじろうは「上岡師匠が永眠いたしました。まだ気持ちの整理がついていません。師匠はどこまでも反骨の方でした。そして、ずっと僕の味方をしてくれました。芸能界の去り際、この世の去り際もですが、お会いしてから最期まで、いつでも優しく、面白く、かっこよかったです!師匠本当にありがとうございました」と記した。

そして「師匠には人生で大切なことをたくさん教わりました。『長いものには巻かれるな、大樹の陰には寄り付くな!いつかは落ちるんだ、しばしの栄光に酔おう』。弟子あがりの時にいただいた手紙の文です。みんないつかは亡くなるよ!媚びずに堂々と、酔ったみたいに楽しんで生きよう、ということでしょうか」と師からの教えを振り返った。

「現役時代、ファンへのサイン色紙に『日々是遺言』と洒落っぽく書かれてたのを見て、師匠との会話一言一言を噛み締めながらお話しをさせていただいていました。なので、師匠との会話の一言一言が僕に詰まっています。この思いはどこにも書き切れません」とつづり、「上岡師匠は生前から、ご自身が亡くなった時のことまでも洒落にされるような方でした。何より亡くなられた時、周りがネガティブに、暗くなるのが嫌だったのだと思います。でもそういう洒落は、キツすぎてここには書けません(笑)ぜんじろう、暗くならんように洒落を頼むよ!と言われてる気がします」と続けた。

そして「2年前のお電話で、僕が社会風刺コメディをしてるのを師匠は喜んでくださいました。アドバイスもいただきました。そして『君は50歳超えたらまたブレイクするよ!』っておっしゃっていただきました。でも、もうその時、すでに53歳でした(笑)もっともっとアドバイスいただきたかったです。引退後も新年会でお会いしたり、たびたびお電話でお話しさせていただいてました。話さなくても、毎日毎日僕の心の中で師匠と会話をし、常にアドバイスを求めてきました。でも、僕は、なにひとつ『師匠孝行』ができなかった、至らない弟子だったことを、今さらながら大変悔やんでいます」と笑いも交えつつ、しのんだ。

「上岡師匠がいなかったら『ぜんじろう』は存在していません。こんなに優しく、面白く、かっこいい師匠を持てて、僕はこの上なく幸せでした。本当にありがとうございました。本当にお疲れさまでした。そして、、謹んでお悔やみを申し上げます」と感謝の思いとともに悼んだ。

ぜんじろうは大阪芸大入学直後だった18歳のころ、大阪の街で上岡さんに声をかけて志願したことをきっかけに弟子入り。吉本興業に所属し、88年に読売テレビ「気分はジャマイカ」のレギュラーになるなど、売れっ子となった。

上岡さんは60年代に故横山ノックさんらと「漫画トリオ」として活躍。のちにテレビ司会者として関西を中心に絶大な人気を誇った。今年5月19日、大阪府内の病院で、肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていたことが今月2日、発表された。