映画の取材を始めてちょうど1年目に公開されたのが「遠雷」(81年、根岸吉太郎監督)だった。当時20歳のヒロイン石田えりがその年の日本アカデミー賞で主演女優賞、新人俳優賞をW受賞。その体当たり演技が記憶に焼きついている。

一方で、撮影後に「想像をはるかに超える脱がされ方をした」と覚めたように話したことが印象的だった。88年に始まった「釣りバカ日誌」では西田敏行演じる浜ちゃんの妻みち子さんを演じ、あのちょっと艶っぽいキャラを決定づけたが、シリーズ6作目を最後に後任の浅田美代子にあっさりとその座を譲っている。

その石田が初監督した「私の見た世界」が25日に公開され、久々に取材する機会があった。自然なグレーの髪が「いい年齢の重ね方」を実感させ、さばさばとした話し方と落ち着いた笑顔は変わらない気がした。

映画は82年に「松山ホステス殺人事件」を起こした福田和子(05年に57歳で獄死)の15年間の逃亡生活を描いている。

「20年くらい前になりますけど、読んでいた犯罪者の本に福田さんが出てきて、逃げる女性のイメージが頭から離れなくなりました。人を殺しているわけだから、そこはどうしようもないけど、調べれば調べるほど世間が貼った極悪人のレッテルとは違う。妻でもあり、母でもあった1人の人間が見えてきました」

自身が福田を演じ、基本一人称で彼女の目を通した光景が展開する不思議な作品が出来上がった。

「現場ではまずスタッフをどう動かすか、で苦労しましたね。私は若くないし、これからの映画監督というわけじゃない。もう年取って俳優業がダメだから(笑い)みたいな。スタッフからするとイメージがよろしくない。向こうは私より全然若いですけど、作り手側としては20年とか、ベテランなわけです。こうしたいと思っても『それはちょっと無理ですね』と言われちゃうと、そういうものなのか、と。初めての監督業はあきらめの連続だったんですよ」

構想20年でようやくたどり着いた初監督作品なのだから、もう少し格好つけてもいいだろうに、現場でのダメッぷりをあけすけに語るところが石田らしい。

32歳の時に発表した写真集「罪」は、撮影が世界的写真家ヘルムート・ニュートン氏であり、題材がSMということで大きな話題となった。が、この時も彼女らしく自身を突き放したように話している。

「仕事を始めて15年くらいでプライベートもうまくいかず、仕事もいわゆる『番手』が下がっていた時期でした。もっと素っ裸で生きるためにはどうしたら…出した結論が世界一の写真家にヌード写真集を撮ってもらうことだったんです」

当初「SM」は想定されていなかった。

「暗い部屋で言われるままにポーズをとり、撮影が淡々と進む中でだんだん惨めな気持ちになりました。ランチの時にヘルムートがスタッフとフランス語でしゃべり、メークさんやスタイリストさんが私の方をチラチラ見る。悪口を言われてる気がしました。で、その日の撮影終わりの時に涙があふれ、通訳さんに思いをまくしたてたんです。それを聞いたヘルムートがもう1パターン撮ろうと…そしてイスに座った姿勢で縄で縛られて…」

それが転換点となり、写真集には強烈なインパクトが生まれた。撮影後ヘルムート氏は「これからはどんなに惨めなことがあっても心は毅然(きぜん)としていなさい」と語りかけたという。

自身を客観視する姿勢、俯瞰(ふかん)する感覚は映画監督向きのように思う。「私の見た世界」はロッテルダム映画祭、ベルリン映画祭に出品するなど、世界的にも一定の評価も得た。

次回作は「実は30年前、休暇で行った南の島で人生に1度あるかないかのすごい体験をしたんです。それが題材です。もともとそれが撮りたくて監督をしようという気になったんです」という。【相原斎】