14日に死去した俳優三国連太郎さん(享年90)の息子で俳優佐藤浩市(52)が15日、都内で、父親との最後に対面した時の様子について語った。佐藤によると、入院中だった三国さんは、13日には夕食を食べるなど元気だったが、その後嘔吐(おうと)、翌14日朝にも嘔吐し血圧も上昇、約2時間後に帰らぬ人になったという。
佐藤
「戒名もいらない、散骨してほしい、誰にも知らせるな、密葬で」と本人が常日頃言っていた遺志がありました。できれば骨になるまでは皆さんとお話しするのは避けたいなと思っていました。
-最期は
佐藤
僕自身は自宅にいたので、死に目には会えませんでした。亡くなった後、すぐに病院に向かって、午前10時すぎに彼と対面できました。三国も90歳ですし、いつかこういう知らせが来るであろうと覚悟していました。不思議な感覚でした。
-最後に会ったのは
佐藤
おやじのところには、めったに顔を出さないんですけど、今月の頭からニューヨークに映画のロケに行ったので、その前にちょっと顔を見に行きました。薬を投与されていて意識がもうろうとしている時もあるんですけど、その時はしっかりしていて、言葉を交わすことができました。外に散歩に行って「寒い」とかそういうたわいのない話です。それが4月1日。
-対面して
おやじの死に顔を見て、悲しいという思いはなかったです。この数年の中で、なぜか一番凜(りん)とした顔に見えました。威厳があって、不思議な感慨になりました。涙は出ませんでした。
-入院生活は
佐藤
1年と数カ月。その前も含めると数年です。
-状況は
佐藤
…うーん。まあ、あまりまだ僕の口からは勘弁してください。
-どんな思い出が
佐藤
この世界(芸能界)でやると告げたのが早稲田駅のホームで、三国は「そうか」とひと言言って電車に乗っていった。その場面です。
-どんな役者だった
佐藤
戒名はいらない、散骨して、誰にも知らせるな、三国連太郎のままで逝くと言っていた。三国連太郎として逝きたかった。本当にあの人、役者として生きたんだなと思いました。孤高さを守り続けながら、芝居にかかわってきた。おやじの顔を見た時、そのことを感じました。
-父としては
佐藤
ひどいよ、そりゃ(笑い)。僕と彼の間にあったのは、介在したのは役者という言葉だけ。その中で語ることはできるけど、それが単純に父親像として分かるように説明してくれ、と言われても無理ですね。
-褒められたりした
佐藤
褒められるということはないですけど、否定もしないし、気になるものは見ていたということでした。
-どう呼び合っていた
佐藤
彼は「おまえ」と呼んでいたし、僕は「あなた」と呼んでいました。