<12年1月30日付日刊スポーツから>

 前だけを見てきた。元フジテレビアナウンサー菊間千乃さん(39)。1年半前に司法試験に合格、今年1月から弁護士として働き始めた。アナウンサー時代、ジャーナリストを目指す過程として弁護士資格を取ろうと始めた勉強だったが、退局して司法の道に進むことを決意。初挑戦の試験で失敗し、重圧で不眠も経験しながら1日15時間の勉強で夢をつかんだ。アナ時代、転落事故や謹慎も経験したが、後ろ向きにはならなかった。花形職業からの転身を語った。

 1分も無駄にしたくなかった。おにぎり1個、肉まん1個、サンドイッチも1個。菊間さんの食事は、いつも「1個」だけだった。「食べながら勉強していたので。でも模試で成績が良かった時は、学校の近くの安楽亭(焼き肉店)で500円ランチを食べました。それが自分へのご褒美でした」。

 05年春、法科大学院大学(ロースクール)に入学した。アナウンサーからジャーナリストになるため、弁護士資格を取って役立てようと考えた。現実は甘くなかった。

 「4年間の夜間コースでしたが、予習と復習をして授業に出るだけでも大変。私より優秀な人たちがどんどん会社を辞めて、勉強に専念していきました」

 05年夏、未成年タレントとの飲酒問題で全番組を降板し、謹慎した。取材攻勢を避けるため、ロースクールの友人宅で生活した。

 「青空を見ていると、涙が出てきたりしました。その家ではテレビもインターネットも見ませんでした。周りが気を使ってくれて、助けられました」

 定年がなく、いくつになっても「現場」で仕事ができる弁護士のほうが、自分の性に合っている気がしてきた。1年後、人気番組「とくダネ ! 」で復帰したが、勉強は続けた。睡眠1時間の日もあった。通っていたロースクールの合格率は1割程度。向き合う内容も年々難易度が高くなっていく。自分の時間を100%費やさなければ、スタートラインにすら立てない気持ちになった。07年12月31日付でフジテレビを退社した。アナウンサー時代の仲間との連絡を絶ち、テレビも雑誌も見ない勉強漬けの日々が始まった。

 「退路を断って、崖っぷちに立ったんで、1日15時間も勉強できました。これで落ちたら、ただの無謀な人で終わりますから」

 09年春、ロースクールは修了した。司法試験はロースクール卒業後、5年間で3回しか受験できない。初挑戦は失敗した。

 「不安は倍増しましたが、思えば準備が足りませんでした。2回目こそ勝負。学校で同じような立場の友人もいたので、一緒にした勉強会を通して互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、不安を払拭(ふっしょく)していった感じです」

 それでも、重圧に苦しんだ。「本当に受かるのか」「3回失敗して40歳で無職かも」。眠れない日もあった。不安を消すため、さらに勉強を重ねた。10年秋、合格を勝ち取った。法務省前の掲示板で受験番号を見つけた瞬間、感動で体が震えた。あふれる涙を止めることができなかった。

 「鼻の奥がツンとなって掲示板の前で立ちつくしました」

 勉強を始めてから7年。憧れて入った会社を辞めて、約3年でセカンドキャリアが始まった。駆け出し弁護士の収入は、フジテレビ時代よりも低い。

 「ただ、何の実績もない1年目ですから、当然だと思います」

 今はテレビも見始め、かつての仲間との交流も再開した。だが、コメンテーターなどでテレビ出演することは考えていないという。

 「不特定多数に情報を発信するアナウンサーをやっていて、その影響力の大きさが楽しかった部分もありますが、今は自分の周りにいる人や、目の前にいる人を元気にしていく方が、自分に向いてると思っています」

 アナウンサー時代の26歳の時、生放送中にビル5階から転落する事故で重傷を負った。7年後には謹慎という苦い経験も味わった。

 「山あり谷ありの人生ですから、あまりのんびりゆったりという感じではないかも知れません。ただ、毎日『生きてる』という実感はありますよ」

 女子アナから弁護士へ。司法修習生の研修を終え、今は法律事務所の一員として、先輩弁護士の指導を受けながら、準備手続きなどのため裁判所にも頻繁に足を運ぶ毎日だ。「(法廷で)自分が発言する日は、まだもう少し先だと思います」。今も前に行くことだけを考えている。【柳田通斉、柴田寛人】