女優天海祐希(41)が5日、東京・代々木の国立競技場で行われた石原裕次郎さんの二十三回忌法要イベントに出席した。4日に引き続き二十三回忌の特別番組に出演するなど、熱狂的ファンだったという母親の影響で裕次郎さんを身近に感じている1人で、宝塚退団当時は石原プロ入りも検討していた。また、長時間かけて献花の列に加わったファンもそれぞれ、裕次郎さんの思い出に浸っていた。

 天海はこの日、スタンドの関係者席で二十三回忌法要をみつめた。法要中、涙が止まらず、献花した際も目は潤んだままだった。「法要はすごく美しく、厳格な気持ちで見ていました」。

 ヒットドラマに次々出演するトップ女優は、共演経験こそないが裕次郎さんにあこがれと親しみを感じている。天海の母が裕次郎さんの大ファンだった。そこで天海が生まれると「裕」の文字にちなんだ名前を考えた。結局、画数から「祐里」としたが、宝塚歌劇団に入団する際、芸名は「『石原裕』にしたら」と薦めた。母のこだわりを受け入れるように「祐」の文字を残し、天海祐希となった。

 宝塚を退団した95年、173・6センチの長身で月組男役トップとして絶大な人気を誇った天海の移籍先は芸能界で大いに注目された。一部でジャニーズ事務所入りまでうわさされたが、本人が希望したのは裕次郎さんが設立した石原プロモーションだった。かつては浅丘ルリ子が所属したが、長年、男性俳優専門の同プロは天海の申し出を丁重に断った。それだけに、07年に渡哲也主演のテレビ朝日ドラマ「マグロ」で渡の娘役で出演した天海の喜びはひとしおだったという。6月で終了したフジ系刑事ドラマ「BOSS」では「ボス」と呼ばれる女性刑事を演じたのも、裕次郎さんとの縁を感じさせるエピソードだ。

 天海はこの日は法要を中継した特別番組に生出演。世代的に封切り当時以外はほとんど上映機会のない石原プロ製作の映画を見たことがないため「『黒部の太陽』を、ぜひ映画館でかけていただけたら」と希望していた。

 [2009年7月6日6時51分

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