日本人初の日米通算100勝、100セーブ、100ホールドを記録している巨人上原浩治投手(44)が20日、都内のホテルで現役引退を発表し、涙の会見を行った。今後については未定としたが、アマチュア選手の指導には興味を示した。新人時代から上原を取材し続ける小島信行記者が、個性的な上原のとっておきのエピソードを紹介する。

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上原にしか見えない“道”がある。昨年、左膝のクリーニング手術を受け、巨人から契約解除を告げられた。「膝さえ治って、キャンプでしっかりと調整すれば、まだ現役でやれる自信がある」と現役続行を決意。ところが現役への強い執念をみせながら突然の引退宣言。近年、上原のように実績を残している大物選手が現役にしがみつく傾向が強いが、あまりにも早すぎる5月途中での引退だった。

賛否両論あるだろう。確かに2軍での成績も思うように上がらなかったが、もともと夏場に強いタイプ。しかも手術明けのシーズンでもあり、何も5月で諦めることはない。しかし「これ以上やっても戻らない。それなら辞めるしかない。調子が上がらないベテランのせいで、若手の出番を奪いたくない」と話していた。全力で突っ走ってきた野球人生だからこそ、本人にしか分からない境地があったのだろう。

「0点か、100点か」-。もう少し大げさに表現するなら「生きるか、死ぬか」といった両極端な選択肢しかない。今回、巨人から再契約してもらえなければ、キャンプは背番号なしのテスト生だった。それでも現役続行を希望する上原の執念に、原監督は「あのクラスの選手を背番号なしでテスト生にしたらいけない」と心を打たれ、再契約のGOサインを出した。

何をやるのも両極端だった。東海大仰星時代は「強肩貧打」の外野手。それでも投手としての才能は際立っていた。当時の監督からは何度も投手転向を勧められたが「ピッチャーは走るのがつらいから」と、練習熱心な現在の上原から想像できない発言で断り続けた。結局、東海大にも進学せず、1年間の浪人期間を経て大体大へ。当時の大体大は選手が練習メニューを決める「エンジョイ・ベースボール」。走るのが嫌いだったはずが、一転して投手に本格的に転向し、走りまくって才能を開花させた。

なぜ? と聞かれれば、理由は2つある。1つは本人も即答するが「やらされる練習は大嫌いなだけ」。もう1つは個人的な想像だが「やるからには徹底してやる性格」と自らの習性を知っているから。やると決めたらとことんやっちゃうから、やらない、という論理。

プロ1年目から両極端の片りんはあった。破竹の連勝を続けたが、疲労と慣れないプロ生活のストレスで、口にヘルペスを患った。肉体はボロボロで下血もした。「血便は大腸がんの可能性とか、ヤバイ病気の可能性があるから検査した方がいい」と言っても「それで何かあったら途中リタイアしなきゃならない。トレーナーにも報告してないし、黙っておいてください。シーズンが終わったら検査するから」。シーズン終了後に受けた検査の結果、ただの「切れ痔(じ)」。上原らしい“オチ”がついていたが、プレー続行を選択する執念はその頃から健在だった。

キーワードを「節約」に絞る。携帯の充電代がいくらかかるか知らないが、出先で充電。「もうかった」と子供のように大喜び。トレーニングウエアも何年も着続けるため、メーカー側は「お願いですから新作を着て下さい」と懇願され、最近になってようやく「3年ぐらい着ると、洗濯しても取れない臭いが付くことが分かった。新しいのを着ないと」と反省していた。賞味期限が切れ、色の変わったゼリーも「賞味期限は過ぎても大丈夫」と平気で食べる。提供してくれるメーカーの担当者は「言ってくれれば新しいのを持ってきます。だから古くなったのは捨てて下さい。何かあったら大変ですから」と泣きが入っている。

ただの「節約おやじ」ではない。前回の巨人時代は初勝利を挙げた選手に高級スーツを仕立ててプレゼントしていた。そしてシーズン終了を待たずに引退を決意。プロ野球選手の年俸はほとんどが月割りで支払われるが、当然ながら6月以降の給料はなし。携帯の充電代を節約したかと思えば「辞めると決めた人間がいたらチームに迷惑がかかる。コーチング? 俺がとやかく言ったら今教えているコーチは嫌な思いをするかもしれない」と残りの大金に未練はない。

浪人した経験を糧にプロ入り。「リリーフは絶対にやらない」と言っていた頃もあったが、抑え、中継ぎに転向し、ここまで食らいついてきた。最後は突然のシーズン途中の引退。上原にしか見えない“道”は、上原だけしか歩めない“道”でもあった。楽しくもあったが、取るに足りないことでも見せる執念は、見ている側も疲れさせた。いろいろな選手を見てきたが、上原ほど個性にあふれた選手はいなかった。それだけに寂しさも大きい。本当にお疲れさま!【小島信行】