関脇正代(28=時津風)がついに賜杯を手にした。

新入幕の翔猿に攻められ、追い詰められた土俵際で逆転の突き落としを決めた。熊本県出身、東農大出身の優勝はともに初めて。13勝2敗の好成績で審判部の伊勢ケ浜部長(元横綱旭富士)は八角理事長(元横綱北勝海)に大関昇進を諮る臨時理事会の招集を要請し、30日にも「大関正代」が誕生する。恵まれた体を「ネガティブ」と言われた弱気な性格で生かせなかった大器が目覚め、初優勝と大関の夢を一気にかなえて涙した。

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正代が泣いた。東の花道。出迎えた付け人とグータッチをかわすと、顔はぐしゃぐしゃに崩壊した。青いタオルで涙があふれる両目をぬぐう。「付け人が目を潤ませて、その後ろに井筒親方がいて。涙が止まらなくなった」。支えてくれた顔を見て感情があふれた。

最後まで試練だった。大一番の相手は新入幕翔猿。「初顔でとても意識したし、やりづらさを感じた。今までの相撲人生で一番、緊張したかもしれない」。前夜は深夜0時前に寝床に入ったが、明け方5時すぎまで寝付けなかったという。「目をつむると相撲のことがよぎって…」。極度の緊張は最後の仕切りまで続いた。「ドキドキして心臓の音が聞こえるぐらい。生きた心地がしなかった」。

立ち合い、14日目に大関朝乃山を吹っ飛ばしたような出足はなかった。攻められ、攻め返したところをいなされて体が泳ぐ。もろ差しを許して追い詰められた土俵際、必死の突き落としが決まった。「最後まであきらめなかったのがよかった」。土俵下の控えで息を整え何度も目を閉じた。

入門時から期待された大器が壁を突き破った。恵まれた体を誇りながら、大事な勝負どころで顔を出す「弱気」。今年初場所、そして先場所も千秋楽まで優勝争いに絡みながら届かず「プレッシャーに負けてしまっていた」。悔しい思いを重ねネガティブを捨てた。

母理恵さん(56)が「あがり症でした」という少年は何となく流される人生だった。小学1年で相撲を始めたきっかけも「体が大きい子どもがいる」と聞いた知人が、公園で遊んでいた正代をなかば強引に道場へ“連れ去って”から。熊本農高を卒業して就職を考えたが、当時は就職口がなくて進学。東農大在学中も高校の教員を目指したが、教育実習1週間で10キロやせるほど「教える厳しさ」を痛感し相撲界に導かれた。

「ネガティブ」は心優しさの裏返しでもある。今年3月、祖母の正代正代(まさよ)さん(91)が体調を崩して入院した。春場所前に帰郷していた正代は滞在の3日間、毎日お見舞いに通ったという。元気になった祖母は毎日、仏壇に手を合わせた。その祈りも、歓喜の瞬間につながった。

大関昇進も確実にした。「あこがれの地位。いろいろ責任のかかる地位…パッと思いつかないなぁ」と実感はわかない。誇りを持つ「正代」の名を熊本初の優勝力士に、そして大関の歴史に刻んだ。【実藤健一】

◆正代直也(しょうだい・なおや)1991年(平3)11月5日、熊本県宇土市生まれ。小学1年から相撲を始め、熊本農3年時に国体優勝。東農大に進み、2年時に学生横綱も卒業を優先してプロ入りせず、14年春場所に前相撲で初土俵。序ノ口、幕下、十両で優勝し16年初場所新入幕。184センチ、170キロ。得意は右四つ、寄り。

▽八角理事長(元横綱北勝海) 正代は初日から内容が良く素晴らしかった。最近3場所というより、この1年の相撲がいい。頑張っていればいつか、こんなこともある。翔猿も最後までうまく攻めたし自信になっただろう。(医療関係者らの)周りの人たちの支えで今場所も開催できた。