4月1日、宮城・仙台に常設の寄席「花座」がオープンする。仙台にも明治から大正にかけて「笑福亭」など複数の寄席があったが、その後は消滅していた。今回の花座につながったのが、10年6月に始まった「魅知国(みちのく)仙台寄席」の月1度の開催だった。イベント会社を営む白津守康さんが街づくりの一環として始めた。

 最初は仙台三越にあるフードコートで、簡単な仕切りを設けただけの高座だった。当初から出演する「東北弁落語」の六華亭遊花は「話し声や子供の泣き声、食事する音などが聞こえたりした。環境は悪かったけれど、みんなめげないでやっていました」と振り返る。観客もわずか20人ほどだった。スタートして9カ月後の11年3月11日、東日本大震災が起こった。

 仙台も大きな被害を受け、会場としてきた三越のフードコートも閉鎖された。白津さんは「寄席どころではないだろう」と4月の開催を諦めていたが、避難所にいるという人から「4月のチケットを持っているけれど、寄席はやりますか」との問い合わせの電話がかかってきた。「1人でも寄席を待っている人がいるなら」と開催を決め、知り合いの居酒屋の2階を会場にした。当時はまだ新幹線が不通だったため、春風亭柳之助、三遊亭遊馬の2人が東京からバスで駆けつけた。会場には今までで最高の約50人が集まり、つかの間の笑い声があふれた。人は笑いを求めていた。

 以降、毎月1度、休まずに開催された。会場も150人収容の映画館に移り、毎回、満員の入りが続いた。ファンから「もっと落語を聞きたい」との要望が増えて、今回の定席オープンとなった。白康さんの会社が所有する建物を改装し、2階は定員40人の寄席、1階はチケット販売や飲食スペースとなる。毎月1~5日、21~25日の計10日間は名誉館長に就任した桂歌丸(81)が会長を務める落語芸術協会の興行で、以外は「東北弁落語」の六華亭遊花や漫才の演芸会や貸し出しも行う。

 4月1日から5日までは特別公演となる、1日は三遊亭小遊三、ナイツが出演し、開演前に小遊三、ナイツは人力車に乗って、仙台駅近くのアーケード街から花座までをお練りして、定席オープンをアピールする。花座内外を飾るちょうちんに名前を付ける形で協賛金を募ったところ、企業・個人から160を超える申し込みがあった。白津さんは「小さな寄席ですが、笑って幸せになる、そんな場所になればうれしい」。定席があるのは東京、大阪、名古屋に次いで、仙台が4番目の都市となる。【林尚之】