「戦後最大のフィクサー」とも「バブルの怪人」とも称された許永中氏(72)。バブル期を象徴する戦後最大の経済事件と呼ばれる「イトマン事件」で実刑判決が確定し、服役した許氏のインタビューが、MBSテレビの報道特別番組「激撮! 直撃!! スクープ」(11日午後1時55分放送、関西ローカル)で放映されます。

昨年10月、許氏は韓国・ソウルのホテルでMBSの単独インタビューに応え、半生を語りました。本人が明かした事実をもとに幼少期からの再現ドラマを制作し、「原点」に迫ります。 インタビューでは印象深い言葉があります。日韓の政財界のパイプを駆使し、巨万の富を築いていった許氏ですが、「ややこしい案件」を解決していくことで、「どんどんステージアップ、グレードアップしていって、自分でも考えんうちにえらい舞台に登ってもうたね」と明かしました。

許氏は戦後まもない1947年、在日韓国人2世として、大阪・中津にある極貧のスラム街で生まれました。7人兄弟の三男。「あの時代、われわれ在日の家というのは似たり寄ったりですね。いろんな意味で底辺やね。すり鉢の底みたいな存在じゃないかな。在日の長屋というのはね」。

番組では、小学校時代、好きな女の子の前で、男子生徒から「キムチ臭い」とからかわれたことがきっかけとなり、「練り歯磨き」騒動もドラマで再現されます。青年になると、身長180センチ、体重は100キロ超え。マージャン、パチンコ、ケンカに明け暮れる日々…。「生活費は、学生時代は恐喝やね。相手がケンカを売るように仕向けたこともあるし、どつきあいはすぐに決着がつく、どつくまでもない場合もあるしね。ケンカに勝った代償はお金、換金できるものを持ってこい」。

1986年、「日韓のかけ橋になりたい」という思いを抱き、40歳の若さでオーナーとして大阪と韓国・釜山を結ぶ大阪国際フェリーを就航させました。

貧困と差別をバネにのしあがった許氏は在日韓国人実業家として政財界とパイプを築いていきます。世の中はバブル時代に突入。表社会と裏社会の2つの顔を持ち、政財界と裏社会のつなぎ役的な存在となり、「ややこしい案件」も含め、全国各地から相談が持ち込まれるようになりました。

その人脈は政界の大物にも及んだといいます。「政治家という道を選んだ限りには、清濁合わせ飲む覚悟を持たなダメでしょうね。きれい事でいく世界ではないですよ。ものを頼むというのはお金がいります。政治家は。政治家は『金』と『票』やから。それ以外では動かないんだから」。その言葉は生々しい。

「『あの人は面白い人や』とか『あの人に頼んだから何とかなるんちゃうかいな』というふうなことが口コミで広がって、そんなことが2、3回続いたり、あったりすると、やっぱり話が来るんやね」

バブル時代、「フィクサー」として頂点を極めていた許氏は数兆円を動かし、イトマン事件も頼まれた「案件」の1つだったといいます。

松下宗生プロデューサー(44)は「なぜ財界と闇社会をつなぐフィクサーという地位を築くまでに至ったのかを描きたかった」。

「闇社会の帝王」と言われた許氏の「原点」が浮かび上がります。【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)