新型コロナウイルスの影響で全国の映画館が休業に追い込まれるなど、苦境に立たされた日本映画界。2本の新作が公開延期となった行定勲監督(52)は、最も影響を受けた1人だ。さらに、中国でともに映画を作り上げた俳優三浦春馬さん(享年30)や製作スタッフが相次いで亡くなった。度重なる苦境、悲しみをへて11日に迫った「窮鼠はチーズの夢を見る」の公開を前に、思いの丈を語った。

★ネット配信で新たな可能性

もし映画の神がいたとしたら、1人の監督にここまでの試練を課すものだろうか。行定監督の最初の苦難は4月11日に訪れた。「劇場」の公開が6日前に延期となった。松竹配給で全国280館規模で公開の予定が1年先送りとなることを嫌い、7月17日に全国20館のミニシアターで公開と同日にAmazonプライムビデオで配信。それでも首都圏の映画館を中心に、チケットの完売が相次いだ。

「映画はスクリーンで見るものと思っている人に、映画館で見ていただけたことが明確になった。日本の観客は、スクリーンで見られるものは価値があることを潜在的に分かっている」

「最初に映画館のみで公開されたものを映画として認める」という日本映画製作者連盟の規定から外れ、国内では映画として認められなくなった。配信が映画館に与える影響を懸念する声もあったが、はね返して新たな可能性を提示した。

「配信をやったからって全部、配信に流れるわけじゃなく、映画館に見に行った人が、ものすごくいる。何か1つの取り決めが生まれれば配信と映画館、両方が手を組んで良い形を作ることが出来る。僕の感覚的には、そう。配信と公開と同時に行うのは、作品によっては今後も考えられる」

★リモート映画に起用プラン

次の試練は5月1日に訪れた。6月5日公開の「窮鼠-」の公開延期が決まった。幸い同18日に、9月11日に全国215館での公開が決定。「映画館で映画をかけることで、僕の映画は完成する」が信条の行定監督は胸をなで下ろした。

そんな中、悲報が届く。「劇場」の公開同日配信開始から一夜明けた7月18日、14年「真夜中の五分前」に主演した三浦春馬さんが亡くなった。当初、外部から打診された企画だったが脚本が難航。行定監督は初めて映画化を諦めかけたが、納得できず、映画化権を自ら押さえて脚本を書き直した。ただ、国内で出資者が見つからず海外との合作の道を探ると、中国で企画が通った。準備期間3カ月で13年10月に撮影。三浦さんはその間に習得した中国語で、全編にわたり演じた。

「突然のことで想像もつかなかった。今、思うと、実直で自分をすごく追い込む…良い意味で、わがままなところもあるけれど、忍耐もちゃんとある。次の瞬間、決まっていたことが出来ず思い通りにならない、中国での撮影を一緒に、笑いながらクリアした。僕らをもり立て、それでいてストイックに完璧を求め中国語もうますぎるくらいマスターする。容姿だけじゃなくて、人間としてこんなに美しい人間がいるんだと思うくらい完璧な男だった」

コロナ禍の自粛期間中に2本、製作したリモート映画の新作に、三浦さんを起用するプランも浮上していた。ただ、TBS系ドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」への出演が決まっており、断念した。

「昔は演技に対して、ものすごくいちずで、掘り下げて自分を追い込むところがいっぱいあった。それが、おおらかになったというか、いろいろな経験をして今を楽しんでいるというか、次にどこに行けるのかと、欲も出てきた気がした。すごく良い俳優になってきたと思っていた。しばらく演劇畑が多かったから、逆にそこで培った余裕、寛容さが映画の中で生かされると感じていた。何度も、キャスチングボートに名前を挙げていたが、難しかった」

★人が人を受け入れられるか

8月8日、さらなる悲しみが襲った。出会って26年で6作を作り「窮鼠-」も担当した、照明技師の松本憲人さんが撮影現場で倒れ、脳内出血で亡くなった。

「美しい映像の要。主人公2人のテンションを大切にして、彼らが今、撮りたいところで照明を作ってくれる職人。これから彼の時代が来る時だった。残念」

「窮鼠-」は水城せとな氏の漫画が原作。関ジャニ∞大倉忠義演じる、受け身の恋愛を繰り返す大伴恭一が、成田凌演じる大学の後輩今ケ瀬渉と7年ぶりに再会し、告白され、戸惑いつつも同居を始める物語だ。

「原作と5年前に出会った時から、ボーイズラブ(BL)ものと思ったことが1回もない。同性愛者の今ケ瀬が恭一を好きになり、恭一も女性と絡みながらも今ケ瀬と向き合う。人が人を受け入れられるかというプロセスを描いているだけ。僕が今まで作ってきたラブストーリーは『君のことが1番だよ』と言っている男に、実は2番目の女がいたとかいう話。この映画は、その先がある。今ケ瀬のセリフにもある『心底ほれるって、すべてにおいてその人だけが例外になっちゃう』ということが、恋愛の最大級の本質だと学んだ」

成田は脚本を読んで今ケ瀬と恭一、どちらでも絶対にやりたいと表明。恭一は、脚本家の堀泉杏氏がイメージし当て書きした大倉が出演を快諾。2人は激しいセックスシーンも演じた。

「色眼鏡で見られたくないから、2人が愛し合うプロセスを見せたかった。逃げてしまうと何だか隠微なものに感じる。いろいろな人に、ずいぶん話も聞きましたけど、男が男を好きなだけで感情は何も変わらない。女優と男優でやるのと同じようにやりたかった。R15(15歳未満鑑賞禁止)なので高校生は見ることが出来る。若い子が見て、偏見じゃないものを感じてもらえると、うれしい。今の時代に、すごくいい一石を投じると思っています」

試練、悲しみが続いた2020年…それでも行定監督は映画の力を信じる。

「『劇場』、『窮鼠-』がコロナ禍で公開延期になったことは一見、試練に見える。悲しみで立ち止まって動けない、喪失感を何かで埋めようといっても、埋まるものなんてないんだけど、そこで0に立ち返る。全部帳消しになるところまで落ちるんだけれど、自分の中では、その状況下だからこそ感じられる次なるもの、新しい何かが明確に見えてくるものなんです。本当にかけがえのないものを失うと、それが全部なくても映画をもう1回作ろうと思わせてくれるというのは多分、映画の神様がまだいるからなんだろうなと。映画の神様は、いると思っていますよ。僕は信じたい」

新作が全国の映画館で公開されることを、ひたすら願い、望み続けてきた。その日まで、あと5日。これだけ信じる監督を、映画の神は、きっと裏切らない。【村上幸将】

▼「窮鼠-」に主演の大倉忠義

行定監督は何で僕のこと知ってるんですかね? と思いましたけど、チョイスしてくれたんだったら何でもやりますという感じでした。細かいしぐさやポイントとなるシーンは監督に委ねていました。

▼「窮鼠-」に出演する成田凌

行定監督は何かをして欲しいとは言わず「こういう気持ちだよね」って一緒に考え、寄り添ってくださる方でした。本作ほど純粋で苦しくて切ない作品はないと思い、そこに強くひかれました。苦しい役ってやりたいんですよね。

◆行定勲(ゆきさだ・いさお)

1968年(昭43)8月3日、熊本市生まれ。小学生の頃、熊本城内で黒沢明監督「影武者」のロケを見て映画監督を志し、熊本二高から東放学園に進んだ。岩井俊二監督、林海象監督の助監督を務め、00年の長編第1作「ひまわり」が韓国・釜山映画祭国際批評家連盟賞受賞。01年「GO」で日本アカデミー賞最優秀監督賞。04年「世界の中心で、愛をさけぶ」が興行収入85億円と大ヒット。代表作は「ナラタージュ」(17年)、「リバーズ・エッジ」(18年)など多数。「タンゴ・冬の終わりに」(15年)など舞台演出も手掛け、千田是也賞を受賞。

◆「真夜中の五分前」

上海の時計店で働く良(三浦春馬)は、時計を5分遅らせて時間を楽しむ、亡き恋人のクセを受け継いでいた。プールで泳ぐ中、出会った美女ルオランと、その妹ルーメイ(ともにリウ・シーシー)と出会うが、2人は遊覧船の転覆事故に遭う。

(2020年9月6日本紙掲載=映画「窮鼠はチーズの夢を見る」は公開中です)