往路2位の東海大が10時間52分09秒の大会新記録を出して逆転で、創部59年目にして悲願の初優勝を果たした。アンカーの郡司陽大(3年)が、待ち受けたチームメートに見守られながら、ガッツポーズをしてゴールテープを切った。両角速監督(52)は選手たちから胴上げされ5度宙に舞った。2位は3分41秒差で青学大。5連覇は逃したものの、復路優勝で意地を見せた。

往路優勝の東洋大から1分14秒差の2位で復路はスタートした。7区の終盤で東洋大をとらえると、8区の小松陽平(3年)が東洋大の鈴木宗孝(1年)の後ろにぴたりと追走。小松は14キロ付近でスパートする。東洋大・鈴木との差をぐんぐんと広げ、ガッツポーズをしながら戸塚中継所に入った。

1時間3分50秒の区間新記録。97年に古田哲弘の最も古い区間新記録で、東洋大に50秒の差をつけた。「自分が生まれた年の大記録を自分が更新するとは思っていなかった。100点満点の走り出来た」。

歴史的快走で初優勝を引き寄せると、もう勢いは止まらない。9区のエース湊谷春紀(4年)は3分35秒に2位との差を広げる。アンカーの郡司も流れを失うことはなかった。

秋からの新たな試みが奏功した。箱根路の起伏を想定した1周7・5キロの特別コースを神奈川県内の大学から車で1時間の場所に設定し、「虎の穴」として特訓を積んできたが、それ以外にも「挑戦」はあった。両角監督は「うちは走行距離を月間ではなく、週間でやるようにしています。考え方は前から持っていたんですけど、具体的には秋に入っていたからですね」と説く。

駅伝の練習の定石の単位は月間だ。どれだけ走り込めたかの指標として、多くの選手が頭にとめ、指導者も目安として把握する。それをより細かくこだわった。週ごとに選手の体調や要望を考慮した上で、選手にもより緻密な取り組みへの意識が生まれた。「物の評価を変えた。強弱のつけかた、選手たちがより分かりやすくなったのかなと思いますね」。故障者もなく、不備ない仕上げができた。

選手の準備も万全なら、監督の「仕上げ」も万全だった。「箱根のストレスで痩せたんです」と冗談で謙遜したが、9月から走り込みを開始した。毎年注意をされる10月の健康診断を控えての月間300、400キロメートルの走り込みだったが、選手たちに広がったのは「胴上げを期待しているんじゃないか」という臆測だった。早朝の自主トレなどで、コースを逆走してくる指揮官の姿を見れば、自然と士気は高まった。体重は15キロ減の60キロ台となり、大手町で空に舞う準備は整っていた。

5度宙に舞った両角監督は「信じられない心境だがうれしい。10人の選手が、やってきたことに自信を持って、きちんと力を発揮した。(昨年優勝候補も5位で)悔しい思いもあったが、ここに向けて挑戦してあきらめない姿勢、それを学生が発揮してくれた。胴上げは最高でした」と安堵した表情で言った。続けて真面目な性格らしく「まだ努力しないといけないところはたくさんある」と早くも連覇へ引き締めることも忘れなかった。