ちょっとしたウィンブルドンの洗礼だった。二宮真琴(23=橋本総業)は、女子ダブルス準決勝を前に、ロッカールームにいた。広島出身の二宮は、カープ女子として「Carp」と文字の入った金色の髪留めをしていた。その時、大会スタッフが来て、「何て書いてあるんだ」。野球のチームだと答えると「宣伝になるから外しなさい」。ウエアは白基調など、厳しい規則が数ある聖地のしきたりに初めて触れた。

 しかし、二宮の方が上手だった。カープのショップで買った小さな「C」マーク入りの赤いゴムの髪留めを持っていた。「カープのゴム、持っていたんです。これでいいと思って」。試合には大接戦で敗れたが、試合後の会見で、極端な人見知りであるはずの二宮だが、よく笑い、話した。そこには、母圭子さんの熱い思いがあった。

 母は、練習から試合まで、小学生の時から、娘を乗せて車で送り迎えを繰り返した。当時、保育士をしていたが、「試合の度に、休みをお願いするのがつらくて」。娘のために、保育士をやめ、シフトが組みやすいコンビニや工場でのパートに切り替えた。

 真琴が小学生の時だった。岡山で試合があり、広島への帰り道。娘を乗せた車の中で、母圭子さんは、4大大会23度の優勝を誇るセリーナ・ウィリアムズ(米国)の映像を見せながら、「セリーナが決める度に、カモーン!って言ってみて」と、娘に問い続けた。

 真琴は、人見知りで、小さい頃からおとなしかった。試合に出ても、ガッツポーズもつくらず、声も出さない。母は「困った時は相手にぶつけろ」と言うほど攻撃的なプレーを好んだ。何度も「カモーンって言ってみて」と娘に言うと、「いつ言えばいいか分からない」。そのきっかけを、車の中で教えようとしていた。

 真琴は、セリーナが決める度に、泣きながら「カモーン!」と言い続けた。しかし、やはり本番の試合になると、声は出なかった。母は「さすがに、こっちが根負けしました」。プレー自体はボレーに出たりと攻撃的だが、性格までは簡単に変えることは難しかった。

 その娘は、23歳になり、聖地ウィンブルドンの1番コートで女子ダブルス準決勝を戦った。「私は私のできることをやるしかない」と、不調のペアを引っ張り、勇気づけ、何度も声を出し、ガッツポーズをつくった。その関係者席で、母は拍手を送り続けた。「めっちゃ進歩したと思います。よく頑張ったって言います」。母との二人三脚は、聖地から、また新たな1歩を踏み出していく。【吉松忠弘】


 ◆吉松忠弘(よしまつ・ただひろ) スキージャーナル社を経て87年に日刊スポーツ新聞社に。五輪競技担当として、テニス、体操、卓球、フィギュアスケートなどを担当。現在は錦織圭番として、老骨にむち打ち駆け回る日々。