【帝京・前田三夫の人生⑧】「必ず打った」中村晃、深夜まで口説いた伊東昭光、「俺は男だ!」と叫ばせた芝草宇宙

就任50年目の2021年夏に勇退した帝京(東京)・前田三夫監督(72=現名誉監督)が、監督として過ごした半世紀を振り返りました。22歳の就任初日「甲子園に行こう」と呼び掛けたら、約40人いた部員が2週間ほどで4人まで減ったのは語り草。逆風のスタートから甲子園に26回の出場を重ね、歴代5位タイの51勝を積み上げ、3度の日本一に輝きました。今だから明かす秘話、勝負哲学、思い出に残るチームや選手たち、高校野球界へのメッセージ…9回連載です。

高校野球

古川真弥

50年にわたり指導した前田名誉監督。教え子の数は膨大だ。昨夏、ユニホームを脱いだら、初の日本一(89年夏)メンバーの1人が学校まで来て「辞めないで下さい」と泣かれた。電話口でも何人も泣かれ、手紙も届いた。「悪いことしたみたいで。でも、うれしかったですよ。そこまで、みんな思ってくれるのかなあ」。球場でファンにも惜しまれた。教え子たちは「みんな覚えてます」。野球のうまい、へたは関係ない。入学から引退まで2年半足らず。濃密な時間が記憶に刻まれている。

錦糸町駅 新聞紙にくるまり

ただ「こいつは、すごい」と真っ先に挙げたのは中村晃(現ソフトバンク)だ。4番として、2年の06年夏から3季連続甲子園出場。計11試合で18安打、2本塁打、15打点。

「ここ一番、打ってもらいたい時は必ず打った」。07年夏が悔やまれる。「ベストチームでした。みんな、必死にやってくれた。完全に上を狙いました」。準々決勝で、優勝した佐賀北に延長13回サヨナラ負け。悔しい試合だった。

80年センバツで5試合完投の伊東昭光

80年センバツで5試合完投の伊東昭光

投手はどうか。「もう完成品でした」と絶賛するのが伊東昭光(元ヤクルト)。前田監督2度目の甲子園となった80年センバツ時のエースで、1回戦から決勝まで5試合全て完投。2回戦からは4連投だった。

決勝は高知商に0-1の延長10回サヨナラ負け。日本一まで、あとわずかだったが、思い出は入学前にもある。

20代の青年監督は家まで会いに行った。遅くまで熱意を伝えた帰り、JR錦糸町駅で電車がなくなった。まだ、お金がなかった。「新聞紙、あったかいんです。大発見でね(笑い)」。待合室で拾った新聞紙にくるまり、夜を明かした。

ポケットからまんじゅう

芝草宇宙(元日本ハム)も強く印象に残る。87年春夏甲子園時のエースだが、実は、いったん入部を断っていた。まだグラウンドが狭く、数を絞っていた。

両親に連れられてきたが、下を向いたまま。「1人っ子でしょう」と聞いたら、その通り。「絶対無理だなと思いました。自分の世界しか知らない。僕の顔を見られないなんて」。

すると「祖父母と一緒に家を出します」と両親。そこまで言うならと、引き受けた。

果たして、線は細いが、筋がいい。ボールがスッと伸びる。ウエートと大量の食事で体を作らせ「あれよ、あれよと伸びてきた」。こんな思い出も。

返事が小さいことに業を煮やし、夏の練習でユニホームを脱がせ「俺は男だ!」と大声を挙げながら、グラウンドを走らせた。それを見た外国人の帝京関係者が「ノー!」と血相を変えて止めに来た。

「これは大和魂だ!」。30代後半の熱血監督も負けていなかった。

甲子園でノーヒットノーランを達成し、ナインと喜ぶ帝京・芝草宇宙=1987年8月16日

甲子園でノーヒットノーランを達成し、ナインと喜ぶ帝京・芝草宇宙=1987年8月16日

「徹底的にいじめている(=鍛えている)から、俺の事、恨んでるだろうな」と思っていた。ある日の練習後、疲れきって帰る姿を見つけた。

ポケットに、たまたま、まんじゅうが入っていた。「おい、芝草。食うか?」「はい」。うれしそうな顔が忘れられない。

そんな教え子が自分と同じ高校野球の世界に戻り、帝京長岡(新潟)を率いている。勇退後「前田監督のおかげで甲子園に行けたし、プロにもなれた」と選手に話していると言われた。

感謝も伝えられたが「お前に言われたくねえよ」。本心は「頑張ってもらいたいね」と気にかけている。

思い出は尽きないが、これからの高校野球界へのメッセージを聞いた。(つづく)