【阪神週間③遠井吾郎】素手でビールグラスを割る…「仏のゴローちゃん」の天才的打撃/代打の神様列伝vol.2

ウィークデー通しの阪神特集。第3弾は「仏のゴローちゃん」こと遠井吾郎が登場。先輩、同期、弟子のコメントを読むと、誰からも愛された人柄が感じられます。(2015年3月11日掲載。年齢、所属などは当時)

傑作選

高原寿夫

ぽっちゃり体形で力強い打撃

ぽっちゃり体形で力強い打撃

▷ぽっちゃり体形&メガネ

代打の切り札でメシを食った川藤幸三(OB会長)が今でも慕うのが「仏のゴローちゃん」こと遠井吾郎だ。

桧山進次郎(日刊スポーツ評論家)に破られるまで阪神での実働記録20年を誇り、レギュラーから代打の切り札として長く活躍した名物選手だった。

◆遠井吾郎(とおい・ごろう)1939年(昭14)12月4日、山口県生まれ。柳井から58年に阪神に入団。66年は長嶋茂雄(巨人)と首位打者を争い2位(3割2分6厘)となるなど、阪神の主軸として活躍。温厚な性格で「仏のゴローちゃん」と愛された。77年までの選手在籍20年は、桧山22年に次ぎ球団史上2位。代打通算起用525回、108安打、10本塁打、96打点、打率2割4分2厘。現役通算1919試合、1436安打、137本塁打、688打点、打率2割7分2厘。現役時代は180センチ、85キロ。左投げ左打ち。

あの人が怒った顔を見たことがなかったと誰もが言う温厚な人柄とぽっちゃりした体形、トレードマークのメガネからついた名前が「仏のゴローちゃん」。

阪神80年の中でも特異な存在感を誇る人物だ。先輩にあたる吉田義男(日刊スポーツ客員評論家)が語る。

▷長嶋茂雄と首位打者争い

吉田 最後の方は代打やったけどレギュラーの印象が強いよ、僕には。大きかったが打撃テクニックがあり、天才的やった。でも守備はお世辞にもうまいとは言えない。遊撃の僕は捕球して、すぐ投げるのが特徴。体の小ささをカバーするためですが、そうすると遠井が間に合わない。「もっとゆっくり投げてほしい」と言う。そうすると今度は僕のタイミングがおかしくなって悪送球しましたわ。お酒が大好きでね。柳井(山口県)の出身で、甲子園や東京、名古屋で調子が悪くても広島遠征では打つ。地元が近く、知り合いと飲むようなことも多かっただろし、それで元気が出たのかもしれん。繊細な人やったからね。

ベンチ前で打席に立つ準備をする遠井吾郎。左は吉田義男監督=1977年

ベンチ前で打席に立つ準備をする遠井吾郎。左は吉田義男監督=1977年

打撃技術、勝負強さは文句なしだった。60年代半ばからクリーンアップに座り、4番も務めた。

20年の現役生活の中で規定打席に到達したのは4度だが、そのうち3度、打率ベスト10入り。66年には長嶋茂雄(巨人)と首位打者争いも演じた。

▷05年に死去 65歳

遠井とは阪神に1958年(昭33)に同期入団、現役引退後は広報担当も務めた本間勝が語る。

本間 打撃センスの秘密は人並み外れた握力だったと思う。飲みに行った時、ビールを飲みほすとグラスを手の中で握りつぶす。グラスといっても丸い固いグラスだよ。ケガすると危ないのでやめろと言っても「大丈夫」と意に介さなかった。なんてヤツだと思ったね。

長嶋茂雄とマウンドを見つめる=1966年

長嶋茂雄とマウンドを見つめる=1966年

遠井を師匠のように慕い、のちに自身も代打の切り札となった川藤は言う。

川藤 よく飲みに連れていってもらったもんや。首脳陣の前では一切、練習しないんや、あの人は。だれも見てないところで、トコトコ、トコトコ、走り、バットを振る。カッパを着込んでな。そういう姿を陰からじっと見てたわ。

野球の世界から離れた後はスナックも経営した。大阪・北新地、地元・山口でも営業し、その人柄で繁盛した。10年前の05年6月27日、65歳で死去。

後日、大阪市内で行われた「お別れの会」は遠井を惜しむ多くの人でにぎわった…。