【写真でお宅訪問】フィジーの村でラグビー代表主将リーチ・マイケルのおもてなし

2019年ラグビーW杯日本大会で日本代表の主将を務めたリーチ・マイケルは、ニュージーランド人の父、フィジー人の母のもとに生まれました。過去最高の8強入りを飾る大舞台の直前、日本メディアを招待したのは母の故郷フィジーの村でした。

2023年にはW杯フランス大会を控え、現在はリーグワン1部の東芝ブレイブルーパス東京で活躍中。3年前に同行した松本航記者は日本とのギャップ、そして温かい「おもてなし」に触れました。(2019年8月21日掲載。所属、年齢など当時)

ラグビー

松本航

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集落を進むリーチ・マイケル

集落を進むリーチ・マイケル

「『ウエルカム』がすごく上手」

19年9月20日開幕のラグビーW杯日本大会まで、1カ月を切った。着々と準備を進める日本代表を取材する過程で、個人的に大きな刺激を受けたことがあった。

パシフィック・ネーションズ杯で優勝を決めた米国戦(フィジー・スバ)から、一夜明けた8月11日。フランカーのリーチ・マイケル主将(30=東芝)は、母イバさん(59)が育った同国のある集落に招待してくれた。現地の子どもたちと走り回る長女アミリア真依ちゃん(5)を見つめると、静かに口を開いた。

「(ここに来ることには)すごく意味がある。東京とのギャップを知るのは大事。あとは僕の家族がどこで育ってきたかとかね。ああやって娘が、フィジーの子と遊んでいる。フィジーの人は、『ウエルカム』がすごく上手だと思う」

その言葉は娘だけでなく、取材で同行した我々にも向けられていた。この日の出来事はすでに記事になっているが、あらためて体験したことを記してみたい。

父コリンさんが生活する集落から見える景色

父コリンさんが生活する集落から見える景色

リーチ・マイケル(右から2人目)はフィジー・タブア郊外の集落で、おじ(左)と話す

リーチ・マイケル(右から2人目)はフィジー・タブア郊外の集落で、おじ(左)と話す

集落を前に流れる川を渡る父のコリンさん

集落を前に流れる川を渡る父のコリンさん

リーチの父コリンさん

リーチの父コリンさん

午後1時、待ち合わせ場所は同国ビチレブ島北部にあるタブアという町だった。米国戦の会場だった首都スバから、車で約3時間。サングラス姿のリーチは、前夜の疲れも見せずに笑顔だった。

「雨が降っていないから、道は大丈夫。ここから車で30分ぐらいかな?」

知美夫人(31)と娘を乗せたリーチの車を先頭に、主要道路から脇道に入ると、すぐに道がアスファルトでなくなった。砂煙によって前のナンバープレートさえ見えず、ごろごろとした石を乗り越えながら進む車は上下に激しく揺れた。道ばたには馬や羊、やぎ…。気温25度前後の冬だったことが幸いしたようで、仮に雨期であれば、さらに過酷な道のりになっていた。

約20分間走ると、小さな川の前で車はストップ。そこからはリーチに続いて石の上を歩き、川を越えた。乾期だったため水位が低く、それほど苦労はしなかった。小学生の川遊びのような感覚だった。対岸からは汗をかきながら坂を10分ほど上り、ようやく約50人が待つ集落にたどり着いた。

伝統の「カバ」を頂いた

大きな木に囲まれた広場のような場所で、初めに歓迎を受けた。テントの下に座ると、コショウ科の木の根を乾燥させ粉状にし、水を加えた伝統の「カバ」をごちそうになった。

振る舞われた「カバ」の木の根

振る舞われた「カバ」の木の根

「カバ」の木の根を粉末にする村人

「カバ」の木の根を粉末にする村人

集落で振る舞われた料理

集落で振る舞われた料理

集落で振る舞われた鶏料理

集落で振る舞われた鶏料理

飲む順番は年長者から。手をたたき「ブラ!(フィジー語で『こんにちは』)」と言って容器を受け取ると、濁った液体を一口で飲み干す。味は想像以上にスッキリとしていた。「ビナカ(フィジー語で『ありがとう』)」と感謝を伝え、容器を返すと次の人に移る。

おもてなしの料理は、この集落で取れた品々が並んだ。リーチおすすめのタロイモの葉はクリーミーで、パイナップルは市販品よりも甘みがあった。フィジーの温かい「おもてなし」に感激した。娘と馬に乗り、多くの親戚からエールの言葉を受け取ったリーチも、気分転換したようだった。

「こっちに来ると自然体でリフレッシュできる。やることもないし(普段は)川で遊んだり、お父さん(が建設中)の家を手伝ったり。子どもの頃から2~3年に1度、ずっと来ています」

父コリンさん(62)は2年前、日本留学前のリーチら家族と過ごしたニュージーランド・クライストチャーチから、この集落に移り住んだ。現在は自らの手で家を建てながら、妻の故郷でフィジーの人々に技術を伝えている。ふと、足元を見れば、小さなソーラーパネルがあり、コードの先では村の人のスマートフォンが充電されていた。電気さえ通っていない地域だが、コリンさんの努力もあり、集落の姿は少しずつ変化している。

「東京とのギャップを知るのは大事」と話したリーチと同様に、知識を独学で身につけたコリンさんの言葉にも重みがあった。

集落を背に歩くリーチ

集落を背に歩くリーチ

父コリンさんが製作中のキャンピングカー前で足を止めるリーチ

父コリンさんが製作中のキャンピングカー前で足を止めるリーチ

リーチの父コリンさんが建てた家

リーチの父コリンさんが建てた家

父コリンさんが建設中の石の家

父コリンさんが建設中の石の家

「1800年代とか、マシン(機械)がない時代の家を見に行って『それが(当時)できたなら、今のオレなら楽にできる』とアイデアを練る。日本のお寺もそう。『どうやって、あのでかい板をあそこにやったんだ』と考えるんだ。今持っている知識をこっち(フィジー)の人に与える、という人生も永遠には続かない。できる限り、次の世代につなげていきたい」

帰り際に別れの歌を聞き、居合わせた全員と握手すると、自然と胸が熱くなった。3時間ほどの滞在だったが、普段の生活では薄れていた、異文化を知ることの大切さを学んだ。日本大会はアジア初のW杯。今度は来日した人々に何ができるかを考える番だ。ビッグイベントの意義を再確認する機会になった。