今月は札幌市でパラノルディックスキーW杯が開催され、私も障害者スキー連盟の強化本部長として、現地に滞在しました。参加13カ国で選手・スタッフは約140人。こぢんまりとした国際大会でしたが、その分だけ選手、関係者、観客の距離感が近くて、「大会を盛り上げよう」という地元の熱意が伝わってきました。

30年冬季五輪・パラリンピックの招致を目指して、障がい者スポーツの普及に力を入れている札幌市と、同じ思いを共有する地元企業などの協賛で開催が実現しました。連日、北海道新聞が大きく報じ、札幌大学の学生さんがボランティアとして手伝ってくれました。地元の力を合わせて大会をつくる。そんなアットホームな温かさを感じました。

会場は自衛隊の施設の中にあるためアクセスがいいとは言えませんが、地元の小学生たちも授業の一環で観戦にきてくれました。実は昨夏以降、日本代表の荒井秀樹監督や平昌パラリンピック金メダリストの新田佳浩選手らが、小学校を訪問したり、体験会などを実施してきました。そんな地道な普及活動も、熱い声援につながったのでしょう。

試合の合間に選手と子供たちが一緒にコースを滑るイベントも行われました。参加希望者を募集したところ、100人の予定が200人になったと聞きました。感心したのはW杯最終戦という重要な大会にもかかわらず、海外も含めて大勢の選手がイベントに参加してくれたことです。地元の応援を意気に感じてくれたのだと思います。

大会期間中、札幌駅から大通公園に向かう地下通路の一角にパラノルディックスキーの紹介ブースも設けられました。映像を流し、チェアスキーも展示していました。全試合終了後には、その場所に選手、スタッフが集まり、多くの通行人が行きかう通路の一角で、閉会式を行いました。大会成功へかける札幌市の熱量の大きさを感じました。

夏季競技では20年大会を1年後に控えて、テストイベントなど大規模な国際大会が国内で次々と開催されます。そんな中、規模は小さくても周囲の力を借りることで盛り上がることができる、小さいからこそ楽しめる、そんなもう1つのスポーツの楽しみ方を発見した気がしました。パラスポーツの新たな可能性として、20年大会後の1つのモデルになるかもしれません。

 

◆大日方邦子(おびなた・くにこ)アルペンスキーでパラリンピック5大会連続出場し、10個のメダルを獲得(金2、銀3、銅5)。10年引退。現在は日本パラリンピアンズ協会副会長で、平昌パラリンピック日本選手団長を務めた。電通パブリックリレーションズ勤務。46歳。