陸上男子110メートル障害の金井大旺(25=ミズノ、函館市出身)が、3日の予選から集大成のレースに臨む。東京オリンピック(五輪)を最後に現役を引退し、父敏行さん(67)と同じ歯科医師の道を目指す。

日本人初の決勝進出へ、金井の陸上人生を支え続けてきた母道子さん(56)がエールを送った。

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金井の最初で最後の五輪が近づく。道子さんは「後悔が残らない、全て出し切って納得して終われるようなゴールをしてほしい」と願いを込める。函館南本通小3年で陸上を始めた時からサポートしてきた。そんな日々を懐かしそうに思い起こす。

金井は研究熱心だった。小学生時代からビデオを繰り返し見て、ライバルたちのタイムを正確に覚えるほど、1人1人の走りやデータを頭に入れていた。どうしたら効率良く飛べるかを考えていた。その映像を撮影していたのが道子さん。ゴール手前の「金井こだわり」の撮影位置があり、大会では息子の要望に応えるために場所取りに必死になった。「私、木にも登ったこともあるし、塀や鉄塔にも登ったことがある。サルのように」と笑う。

驚かされたことがあった。小学4年時、自宅の庭で通信販売で購入したハードルを2~3台並べて練習する姿を毎日見ていた。ある日、こう言われた。「公園のグラウンドのハードル幅100メートル分の土地を買ってくれ」。道路を挟んで向かいにある公園のことだ。敏行さんと冗談と受け流していたが、金井は本気だった。毎日、お願いされて困った。

1度も「歯科医師になりたい」と本人の口から聞いたことがなかった。だから思いを知った時は驚いた。同時に喜びもあった。「自然と主人の背中を追いかけて決めたということはやっぱりうれしく思う」。函館市内にある金井歯科医院の次期4代目が、東京国立競技場で走る姿を目に焼き付ける。

▽金井の父敏行さん 自ら歯科医を選んでくれたのは本当にうれしい。ありがたい。(陸上は)大学で終わるんだろうと思っていたが、成績がどんどん伸びて、そこまでいったら五輪も近いし目指してもらいたいなと思った。ここが本当に目標だったので、持っているものを全部出して走ってもらいたい。

○…金井が小学3年から陸上を始めた函館CRSの岡部壽一校長(79)は「今のようになると思ってなかったが、バネのある子という印象だった。本番で実力を発揮し、決勝で勝負してほしい」と話す。指導していた田口純子コーチが19年1月に80歳で他界した。約300万円分のハードルを自費で新調し、競技場の外まで届く大きな声を響かせ熱血熱指導していた。岡部校長は「生きていれば」と、同コーチの思いも背負い応援する。