銀メダル獲得の立役者の1人である林咲希(26=ENEOS)にとって、亡き父へささげる銀メダルだった。17年8月、バスケット界に導いてくれた父・豊樹さんを、がんで失った。愛娘の最後の応援は、亡くなる直前の代表戦。余命が迫っており、医者から「飛行機移動は命の危険がある」と止められたが「最後かもしれない」と、指示書を書いてもらって駆けつけ、勇姿を目に焼き付けた。

2週間後、林は海外での試合中に訃報を聞いた。今大会も父が見守ってくれていると思いながらプレー。「あの時も(父は)やりきることを望んでいたので、今回もやりきった。近くで応援してくれていると思っていたので、不安もなかった」と達成感にあふれた。

林の出身地である福岡・糸島市では代表選出時から横断幕を掲げるなど、市を挙げて応援してきた。大会前に電話でエールを送っていた月形祐二市長は「今回の偉業は、日本中に元気と勇気を与えるもので、市民としてこれほど誇らしいことはありません。その活躍は全て咲希さんのたゆまぬ努力の結果であり、天国のお父様もどんなに喜ばれていることでしょう」と喜びを語った。

同市のHPでは広報紙「林咲希物語」と題して、林の半生を描いた漫画が昨年から掲載されている。今大会の活躍とともにアクセスが増えているという。漫画を自ら手がけた市役所広報課の田中伸治さん(43)は「ここに来て問い合わせが増えてきている。苦労がやっと報われたという感じです」と喜んだ。

実は豊樹さんは、田中さんの元直属の上司だった。「人の悪口を一切言わない人だった。咲希さんもまったく同じ」と明かす。豊樹さんの葬儀に出席した田中さんは棺(ひつぎ)の前で涙を流し「いつか咲希さんの特集を組んでやろう」と誓い、制作に至った。漫画は日本代表に選出された時の第3章まで描かれている。田中さんは「もし、要望が通れば続きを描いてみたいですね」と続編を検討中だという。

希望の花が咲くようにと、咲希と名付けられた。面倒見の良かった豊樹さんのように誰からも慕われ、自分に厳しく戦い抜き、東京五輪のコートに立った。

決勝では20分出場で4得点に終わった。それでも大会中は得意の3点シュートを次々と成功させ、準々決勝では83-85の第4クオーター残り15秒から逆転の3点シュートを決め、チームを救った。

「(決勝は)負けたけど一番いい報告になった。お父さん、頑張ったよ」-

人口10万4000人の街が生んだニューヒロインは、3年後のパリ五輪で、もっと大きな花を咲かせる。【松熊洋介】