喜友名諒(31=劉衛流龍鳳会)が、ダミアン・キンテロ(37=スペイン)に勝利し、金メダルを獲得した。大本命の実力をまざまざと見せつけた。

世界選手権3連覇中で、全日本選手権は前人未到の9連覇中。18年2月を最後に、国内外で3年以上無敗を継続する。世界のトップ選手が参加するプレミアリーグでは12年9月から20年1月まで19度優勝してギネス記録に認定された。昨年1月の同リーグパリ大会では史上初めて、審判の1人から10点満点の評価が与えられた。

師と仰ぐ佐久本嗣男氏との練習は、常に命がけだ。「稽古のなかで一瞬でも気を抜いたら、死を意味すると思え」。師範が口にするその言葉を胸に、張り詰めた緊張感の中で日々精進してきた。同門の後輩にあたり、形団体ではチームメートとして世界選手権金メダルを獲得した上村拓也(29)は「試合よりも、佐久本先生の前での演武することが1番緊張する。喜友名先輩もそうだと思う」と打ち明ける。

同じく同門で、もう一人のチームメートの金城新(30)は「とにかくストイックな人。練習でも試合でも、集中力がすごい」と1歳年上の喜友名を評する。圧倒的な質に裏打ちされた練習を約15年に渡り、正月も休むことなく365日続けてきた。だからこそ王者は、大一番でも不動心を貫ける。

東京五輪1年延期が決まったあとは、土台作りにあらためて着手し、さらなるベースアップを図った。表現力向上を目的に琉球舞踊を取り入れた稽古も、19年暮れから継続的に行ってきた。「柔らかい膝の使い方や、力の入れ方の強弱、目線の使い方などは、空手に生かせる」。同じ琉球をルーツとする空手と伝統舞踊をを融合させ、ダイナミックな動きの中にしなやかさを織り交ぜた。

「最後の金メダル空白県」だった沖縄に、沖縄発祥である空手の競技者として、初の栄冠をもたらした。東京五輪での優勝は、2年前に57歳で亡くなった母の願いでもあった。「約束をしっかり果たしたい」と胸に刻み、悲願をかなえた。

武道家として心に刻んできた言葉がある。「一眼(いちがん)、二足(にそく)、三胆(さんたん)、四力(しりき)」。古くから日本の武道全般に伝われる金言で、最も重要なのは、相手の思考や動きを見抜く眼力、そして次が足さばきで、3つ目はどんなことにも動じない精神力、そして最後は力強さという意味を持つ。そのすべてを兼ね備えた、最強の金メダリストが誕生した。

<喜友名諒(きゆな・りょう)>

◆経歴 1990年(平成2)7月12日、沖縄市生まれ。興南高-沖縄国際大。

◆野球少年 小学時代は空手と野球を掛け持ち。ポジションはサードやレフトなど。中学から空手一本。

◆師匠 中学3年時に、世界選手権3連覇などの実績を持つ劉衛流の佐久本嗣男氏のもとに入門。 ◆頭角 大学3年時に全日本学生選手権で優勝。4年時に国際大会に挑むが、2位や3位止まりが続く。

◆世界一 14年世界選手権で初優勝。その後、16年18年と3連覇し、恩師の佐久本氏の記録に並ぶ。

◆主な演武形 アーナンダイ、オーハンダイ、オーハン、アーナン。

◆カラオケ 姉弟子の豊見城あずささんによれば、「喜友名は歌が上手。声が高く、西野カナの『トリセツ』を歌ったりもする」

◆身長、体重 170センチ、80キロ。