57年ぶりに開催された東京五輪が8日、閉幕する。記者としてこの舞台を踏むことが目標だった自分にとって、閉幕が近づきしみじみするかと思いきや想像以上に感慨がない。理由は明白だ。自国開催の五輪である以上、運営面や開催意義に目を向けなければならない。明白なのは、そこに誠実さが損なわれているからだろう。

7月23日の開会式前、制作チームの作曲家・小山田圭吾氏や演出家・小林賢太郎氏が次々に辞めた。過去のいじめや人権侵害に関わる発言をしていたことが理由だった。小山田氏が雑誌上で語った「いじめ武勇伝」を知った後も続投させた組織委。知らん顔を決め込んだ。それでも世論やSNS上の批判が収まらず、態度を180度変え、辞任という形を取った。

実際の開会式も国立競技場で取材したが全ての項目が「ぶつ切り」に見えた。式典チームのエグゼクティブプロデューサー日置貴之氏は多様性など多くの大会理念を表現すると説明していたが、報道陣にだけ事前に配布された資料を見なければ何を表現しているのかさっぱり分からなかった。

何より開閉会式のコンセプトから「復興五輪」という言葉を除いたことには、開いた口がふさがらなかった。【三須一紀】