正式競技として初めて実施されたスケートボードのストリート男子で、堀米雄斗(22=XFLAG)が金メダルを獲得した。予選6位から巻き返し、決勝で37・18点(40点満点)の高得点を上げて圧勝した。会場の有明アーバンスポーツパークがある東京都江東区出身。若年層の人気拡大を狙って採用されたアーバンスポーツの初代王者として、地元で凱歌(がいか)を上げた。

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最後のベストトリック1本まで、集中力を切らさなかった。堀米は「これで金メダルを取りに行こう」と、大技「ノーリー・フロントサイド・180・スイッチフィーブル」に挑戦。着地すると、五輪初代王者をたたえる拍手が起こった。「地元江東区で生まれて、ずっとスケボーだけしてきた。すごいシンプルなんですけど、本当にうれしいです」と声を弾ませた。 予選では細かなミスが目立ち、思うように点数が伸びず6位。決勝でも2本目のランで転倒が響き6・77点。それでも、ベストトリックで難度の高い技を次々と決めた。5本中9点台が4本。4本目は得意とするノーリー系の技で、この日最高の9・50点。苦しみながらも「金メダル獲得」を公言してきた男が目標を現実のものにした。 五輪正式競技として採用が決まった時は、高校3年生。当時は「もちろん選ばれたら頑張りますけど、あまりピンときてない。オリンピックだけが目標じゃないので」とも語っていた。 プロスケーターは大きく分けて2つに分かれる。独自のスタイルを追求して大会で活躍する「コンテスター」と、もう1つは映像制作を残す「フィルマー」。1つを突き詰めれば決して良いわけではなく、両方に力を注いでこそ、同業者からも一流として認められる。17年に高校卒業後に渡米した堀米も、誰も成功したことのない「ヤバいトリック」を追い求めながら両方に打ち込んできた。

18歳で渡米し、本場でもまれるうちに考え方に変化が生まれた。「自分のために滑っていたけど、代表への思いが強くなった」。予選が徐々に本格化するにつれ、国内でも自分の活躍がメディアで取り上げられることが増えた。そんな状況に、競技の楽しさや魅力が世間に伝わるならと「金メダルを取りたい」と出場を熱望するようになった。 五輪の初代王者に輝いたが、今後について「スケートボードはオリンピックだけじゃない」ときっぱり。「今までやっているように映像を残していきたい」。原点は見失わず、自分だけできるトリックと独自のスタイルを追求する。本場アメリカで「YUTO HORIGOME」の名で知れ渡る下町スケーターの探求の日々は、変わらない。【平山連】

◆ストリート 街中にある階段、手すりなど模したコースで技を競う。障害物を飛び越えたり、レールなどを板で滑るトリックがある。難易度、成功率、スピード、独創性などを採点し、審査員5人のうち最高点と最低点を出した2人を除いた3人の平均点が得点となる。45秒のランを2回と、一発の技で競う「ベストトリック」5本の計7本を行い、このうち高得点4本の合計で競われる。東京五輪では男女各20人で争われ、予選の上位8人が決勝に進む。決勝で改めて7本の試技を行い、メダルが争われる。