MF三笘薫(24=川崎F)が、メキシコに一矢報いる1発を決めた。3点ビハインドで途中出場すると、後半33分に得意のドリブルから1点を返した。Jリーグでのパフォーマンスから五輪での活躍を期待されてきたが、ケガもありここまで出番は少なかった。敗れはしたが、三笘の一撃で流れを変えた日本は、最後まで勝利を目指して戦い抜いた。

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途中出場の三笘が食い下がった。後半33分にペナルティーエリア手前でパスを受け、シュートを打つと見せかけて左に切り返すと、ドリブルで深い位置まで運んで左足で決めた。Jリーグで無双状態のドリブラーが、6試合目にして最後の最後に輝きを取り戻した。

代表合流前に川崎Fのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)で負傷して、今大会は先発なし。準決勝のスペイン戦はベンチ外で、何もできなかった。「練習ひとつひとつを丁寧にやってコンディションを上げることしか頭にない」と、チームの勝ち上がりを信じて、地道に調整してきた。

川崎Fの下部組織からトップ昇格の誘いを断り進学した筑波大で、ドリブルの才能を開花させた。武器を磨き始めたのは、ボランチから1列前にポジションを移した高校2年~3年の頃。筑波大では、陸上男子110メートル障害で五輪2大会に出場した谷川聡准教授(49)のもとで指導を受けた。香川真司や原口元気らを指導する同氏に、海外組の練習パートナーとして呼ばれたことがきっかけ。3年生になる頃には自らのメニューを組んで真剣に取り組み、「まっすぐ速く走るより、緩急をつけていかに走れるか。止まり方など、体を自在に操る方法を教わった」と武器に磨きをかけてきた。

大学ではトップスピードで相手を抜くことを意識したが、プロ入り後は速さを抑えて、相手を見ながらプレーの判断を変えるスタイルに変えていった。メキシコ相手にもそのドリブルは通用した。後半18分からピッチに立つと、1分後にはドリブルで突破してチャンスメーク。同23分には中央を突破してFW上田にスルーパスを送り、決定機をつくった。ケガがなければ、もう少し出場時間があれば-。スポーツの世界にタラレバは通用しないが、三笘のプレーは可能性を感じさせた。

大学3年生だった18年夏のアジア大会には、教育実習を蹴って参加した。全ては東京五輪のメンバーに生き残るため。それくらい、五輪にかける思いは強かった。目標のメダルには1歩届かなかったが、一矢報いた三笘の姿は、多くの国民の目に焼き付いたはずだ。【杉山理紗】