バレーボール男子は24日、ベネズエラを3-0で破り、五輪で29年ぶりの勝利を挙げた。日本最年少となる19歳の高橋藍(日体大2年)は、チームの得点源でありながらレシーブを得意とする。将来のエース候補として期待される逸材の礎は、京都・蜂ヶ岡中、日本一をつかんだ東山高時代にあった。

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2021年6月。東山高の豊田充浩監督は五輪日本代表12人に選出された高橋へ「LINE」を入れた。

「おめでとう。これからも精進、努力して、しっかりと目標を持って、けがだけはないようにね」

イタリア遠征中の教え子から、すぐに返信が来た。

「頑張ります。東山で頑張れた。そこが礎になっているんで、感謝の気持ちしかありません」

小さな体で、相手のアタックを拾い続ける。豊田監督はその姿を鮮明に記憶する。7年前の2014年。のちに同校へと進む当時中3で兄の塁(現日大主将)とともに、目に留まったのが中1の高橋だった。兄がエースだったため、弟はリベロとしてプレーしていた。

「『この子は中1?』っていう感じでした。背は小さかったけれど、センスがありました。『あとは背(が伸びるの)を待ちなや』ぐらいな感覚でしたね」

2年後、口説き文句は兄の進学時と同じだった。熱い思いを、直球で伝えた。

「まだ日本一を経験していない。君の力で東山に来て、日本一に一緒にチャレンジしないか?」

1、2年時は巨大な壁に跳ね返された。全日本高校選手権(春高バレー)の京都府予選決勝。2年連続で洛南に屈した。相手には高橋の1学年上で、五輪日本代表の大塚達宣(現早大)がいた。新チームとなり、主将を担った。チームで朝練習は行っていなかったが、高橋は毎朝姿を見せた。豊田監督はこう回想した。

「サーブレシーブから攻撃に参加する。彼はバックアタックを完全に自分のものにしました。レシーブから一連の流れでいく。高校生で、ほぼいないと思います。今までに見たことがない。練習をずっとやっている姿を他の選手が見て、背中で引っ張っていました」

現在も変わらない武器が、高校3年間で確立した。

コート外でも注目度は上がった。3年時に自身春高初出場を果たし、豊田監督と誓い合った通りに日本一。行列を作った女性ファンから黄色い声援を受けたが、姿勢は変わらなかった。

「本人もうれしかったと思います。でも、チャラけた、ふわふわとしたところは見せなかったです。オンとオフがしっかりきく。楽しむためには当然、努力がいる。『悲壮感のない勝負師』っていうのかな。究極の部分を突き詰めていった。国体、春高と優勝しても、てんぐにならず、高い志を持っていました」

高校卒業前の2月に代表初選出され、東京五輪への道を切り開いた。華やかと泥臭さを併せ持つ高橋へ、豊田監督はエールを送る。

「泥臭い、球際ギリギリのところをやれるのは、高校時代から僕らが追求してきたところ。体を張ったプレーをどんどん見せてもらって、見ている人を勇気づけるようなバレーを見たいと思っています」

目標は72年ミュンヘン五輪以来、49年ぶりのメダル獲得。世界の強敵へ、19歳の底知れぬ力をぶつける。