文田健一郎(25=ミキハウス)が金メダルを逃した。決勝ではキューバ選手に1-5敗れ、グレコの日本勢では84年ロサンゼルス大会の宮原厚次以来、37年ぶりに5人目の世界の頂点を逃した。

指導者だった父敏郎さんの元で競技を始めた。最初は嫌々だったが、気持ちを動かしたのは、豪快な投げ技だった。当時は日本の戦い方は、相手の脇に腕を差してからの押し合いが試合が主流だったが、父の信念は「投げてナンボ」。世界の投げ技特集のビデオを見せられ、「自分もやってみたい」とのめり込んだ。

日本では相手の足を攻撃できないグレコは、足も狙えるフリーの影に隠れてきた。五輪での成績でも大きく差を離され、中学ではグレコだけの大会はない。危険性なども理由だが、文田は「グレコの面白さを伝えたい」と戦ってきた。

19年12月、母校の韮崎工高。9月の世界選手権の金メダルとベルトを持って登壇し、体育館で全校生徒の前に立ち、伝えたいと思っていたというメッセージを丁寧に語り出した。

「スポーツも勉強も好きなこともですが、何か自分が成し遂げたいことがあったら強く願い続けてほしい。目標、夢は必ずかなうとは限りませんが、強く思った人だけがかなえられると思います」。

17年世界選手権で優勝しながら、2連覇を狙った18年は膝の靱帯(じんたい)損傷の大けがで断念。競技人生の終わりも考えさせられるリハビリの中でも、東京五輪の金メダルをあきらめられなかった。そして、この日につなげた。

無類の猫好きで知られ、類いまれな柔軟性を武器にするスタイルから「にゃんこレスラー」と呼ばれる25歳。愛し続けたグレコで、世界一こそ逃したが、その強さも証明した。

<文田健一郎(ふみた・けんいちろう)>

▼生まれ 1995年(平7)12月18日、山梨県生まれ。

▼戦績 韮崎工高では高校グレコ選手権3連覇。世界選手権では17年に日本勢のグレコで83年の江藤正基以来34年ぶりの優勝。19年では決勝進出で東京五輪代表を決め、優勝。

▼猫 無類の猫好きで、いつも猫カフェに3時間滞在する。スコティッシュフォールドと、マンチカンが好み。練習で使う水筒も猫のイラスト。写真家の岩合光昭氏に「どうやったら猫がうまく撮れるか」と取材

▼目立ちたがり屋 高3の学園祭では、クラスでダンスの出し物があったが、練習でほとんど不参加にもかかわらず、乱入。目撃した担任の雨宮先生は「最後にバーンって飛び込んで、一緒に踊り。で、最後は上半身を脱いで」と証言。

▼五輪 父の教え子だった米満達弘の応援で12年ロンドンへ。祖母にねだって50万円の旅費を出してもらう。会場で優勝を見届け、メダルにもタッチ。

 

◆グレコローマンスタイルとフリースタイル フリーは攻防に全身を使えるが、グレコは下半身を使うことが禁じられる。タックルなど足への攻撃が主な武器となるフリーに対し、グレコは投げ技が中心。歴史的には「ギリシャ・ローマ」が語源のグレコの方が古いが、米国などではフリーが盛ん。日本でも若年層はフリーが主で、グレコは大学から本格的に取り組む選手が多い。五輪や世界選手権の女子はフリーのみで争われる。