先日、西が丘で本田圭佑に会った。

 こう書くと「何をバカなことを」と笑われるかもしれない。しかし、これが正真正銘の「サッカー選手、本田圭佑」である。

 ただ日本代表の看板選手でACミランからメキシコリーグの強豪パチューカに移籍し、デビュー戦でいきなりゴールを挙げてみせた、あの本田圭佑ではない。もう1人、本田圭佑がいる。

 J1から数えて4部に当たる日本フットボールリーグ(JFL)。そのJFLに所属する東京武蔵野シティFCに、まったくの同姓同名の選手が存在する。仮に「サッカー選手」という基準を世界各国の全国リーグ以上とした場合、地球上に存在する「サッカー選手、本田圭佑」は恐らくこの2人だけだ。ともに同じ6月生まれである。

 「いったいどんな選手なんだろうか?」

 その名前を見つけた時から興味があった。この目で実際にプレーを見て、どんなサッカー選手なのか知りたかった。それがワールドカップ出場をかけた日本代表のオーストラリア戦(8月31日、埼玉)を目前にした、このタイミングでかなった。


ドリブルする東京武蔵野FCの本田圭佑
ドリブルする東京武蔵野FCの本田圭佑

■ハードワークが持ち味

 8月19日、JFLセカンドステージ第5節、7位の東京武蔵野シティFC(以下、武蔵野)は、4位のヴェルスパ大分と東京・味の素フィールド西が丘で対戦した。背番号14の本田は先発メンバーとしてピッチに立っていた。

本家は182センチと大柄だが、こちらは身長171センチと比較的小柄な体形。キリッと締まった精悍(せいかん)な顔立ちだ。4-2-3-1の並びで、本家と同じ2列目の右MFに入った。ひょっとしたら同じ左利き? と期待したが、こちらは右利きだった。絶え間なく動き、ボールを引き出し、味方にパスをつなげ、時には一気にディフェンスラインの裏へと走り抜け、チャンスを探る。動きの幅が大きいのが特徴的だった。

 試合は後半3分に武蔵野が先取点を奪う。本田が中央へ送った縦パスが攻撃の起点となり、ゴールが生まれた。同17分に右サイドバックが警告2枚で退場となると、本田はすかさずサイドバックへ。さらに3分後、DFの選手が投入されると今度はボランチとしてプレー。どこでもこなせるオールラウンダーだ。

 武蔵野が勝利をほぼ手中にしたロスタイム4分。ゴール前の混戦から放たれたシュートが武蔵野ゴールに突き刺さる。思わぬ同点ゴールに、ピッチに崩れ落ちる選手たち。そのプレーを最後に、試合終了のホイッスルが鳴った。かつて日本代表がワールドカップ予選で味わった「ドーハの悲劇」のような結末で、1-1のドローに終わった。

 注目した本田のプレーは好感が持てるものだった。攻守にわたり一貫してシンプルなプレーだった。本家のようにフリーキックからゴールを狙うわけでもない。ケチャップもドバドバしない。大きなジェスチャーで周囲に指示するわけでもない。全員がハードワークを心掛ける規律正しいチームにあって、地味な黒子に徹している。クラブの公式サイト上で自らを「アリ」と例える本田は、その言葉通り玄人受けするタイプの選手だった。

 そんな本田のいる武蔵野を率いるのは、吉田康弘監督(48)。名門の鹿島アントラーズ、清水エスパルス、サンフレッチェ広島などで中盤の選手としてプレーし、J1で239試合出場(12得点)という立派な記録を持つ、こちらも仕事人だった。「僕自身、地味でした」と話す“いぶし銀”の指揮官は、本田について「使い勝手のいい選手。FWもできるし、どのポジションでもそつなくこなせる賢い選手であり、自分が何をすべきか整理されている。本当にクレーバーで波がない。いつでも平均点以上を出せる」と厚い信頼を口にした。

 そしていよいよ、目当ての本田圭佑とのご対面である。こちらを圧倒するようなオーラはない。実直で謙虚な人柄だった。クラブスタッフによると、過去に同姓同名に目を付けたテレビ局から番組出演のオファーも届いた。だが「僕はいいです」と断ったという。人前に出るのが苦手というのもあるだろうが、名前だけが独り歩きするのも不本意だったに違いない。そんな本田は、試合については「最後まで守りきりたかった。こういう経験は初めてです、逆はあったんですけど」。ラストワンプレーでの失点を悔しがった。ひとしきり振り返ってもらったところで、さらに踏み込んで“核心”を聞いた。


パチューカFW本田は左足ミドルシュートで移籍後初ゴールを決め誇らしげに背番号02を指さす(撮影・PIKO)
パチューカFW本田は左足ミドルシュートで移籍後初ゴールを決め誇らしげに背番号02を指さす(撮影・PIKO)

■昼間は仕事のアマチュア

 -そもそも同じ名前だと、いつ気づきました?

 「本田選手が日本代表か、ユース(の時)か…、あれって感じで」

 -気になったでしょう。当然、意識しますよね?

 「あそこまでスーパープレーヤーなんで、なかなかないですよ。あんまり気にしないようにしています。『ただ名前が一緒だから』ってだけなので」

 -これまで散々名前でいじられたでしょ?

 「そうですね…。大学の時はそこまで広まっていなかったんで。ほんのちょっとだったんですけど、ここ(武蔵野)に入団することになって、ニュースリリースが出た時にネットで広まりました。地元(新潟の)の人からもすごい連絡がきて」

 -こちらの本田選手は何が持ち味ですか?

 「テクニックとかそういうのがストロングポイントではないので、いっぱい走って、周りをサポートして、相手を疲れさせて。そういうところで貢献できれば」

 -昔からこういうスタイル?

 「高校(新潟工)まではどちらかと言えば攻撃ばかりが好きで、自由にやっていました。大学ではそれが通用しないことが分かって、大学(平成国際大)の監督から『お前の持ち味はそういうところじゃない』と言われて。それで運動量だったり、ボール出しだったり。大学の先輩にも同じスタイルのプレーヤーがいたので、それをまねしていいところを盗んだ。そうしたら、こういう感じのプレーヤーになりました。」

 ちなみに、巨額を稼ぎ出すトッププロの本家とは違い、武蔵野の本田はアマチュア選手である。大学卒業をする際にはJ3クラブのセレクションを受けたが、契約には至らなかったという。それでもJFLでは“老舗”の武蔵野に声をかけてもらった。クラブから仲介された勤務先で昼間は「配送業務」などをこなし、19時開始のチーム練習で汗を流している。昨年はケガに泣いたが、4年目の今季は不動のレギュラーとなり、今やチームに欠かせない選手へと成長した。6月で26歳となった今でも「Jリーガー」という夢はあきらめていない。

 「そこがなくなったら…。(Jリーガーは)こどもの頃からの夢で、何回もあきらめかけてきた。そのたびにやっぱり『やりたい』って」

 夢のJリーガーは、今もしっかり胸の中にある。


東京武蔵野シティFCのヴェルスパ大分戦先発メンバー。後列右から2人目が本田圭佑
東京武蔵野シティFCのヴェルスパ大分戦先発メンバー。後列右から2人目が本田圭佑

■J3入りを夢見て

 その本田のいる武蔵野は、もともと「横河電機」として知られたチーム。関東リーグを経て99年からJFLに参入。地域密着を掲げ03年に「横河武蔵野FC」と改称し、JFLでは安定的に上位へと食い込んでくるチームだった。一度はJリーグを目指さないとしていたクラブが、15年11月にJリーグ参入を目指すと宣言。J3クラブライセンス取得のため「Jリーグ百年構想クラブ申請」を行った。16年1月には「東京武蔵野シティFC」に改称。ただしホームスタジアムの武蔵野陸上競技場(東京都武蔵野市)が会場基準を満たさず、昨年11月、J3クラブライセンスは不交付となった。それでも2020年東京五輪に向けてスポーツ環境を整備する機運が高まる中、自治体の協力もあって同競技場は改修中。ほかにもクリアすべき課題はあるだろうが、追い風は吹いている。

 ならば「Jリーガー本田圭佑」の誕生も、決して夢物語ではない。前へ進み続けた先には、必ずやJリーグという夢の扉も見えてくるだろう。そんなことを考えながら、さらにたずねた。

 -強い気持ちを持つことは大事だと思います。あきらめなければ未来も見えてくる。実際、あの本田選手はすごくメンタルが強く、挫折を味わうたびにそれらを乗り越えてきました、参考になることが多いと思いますが?

 「そこは手本になりますね。あーいう気持ちの持ち方というのは」

 -本当に日本人離れしているものがあると思います。では、こちらの本田選手は何か特別、気持ちをつくるようにしたりしていますか?

 「サッカーをやる時に『今、何のためにやっているんだ』と自分に言わないと、結局どんどん(気持ちが)なえてしまう。だから(自問自答を)続けないと、成長もできないと思うので。何のためにやっているのか、しっかり問いかけるようにしています」 

 若くして頭角を現し日本サッカー界の頂点に君臨してきた本田圭佑と、片や脚光を浴びることなく地道にサッカーを続けてきたもう1人の本田圭佑。その歩みはまったくの別ものである。日本代表として戦うワールドカップとJ3入りを目指したJFLでの戦いと、そのステージは異なれど、サッカーに向かう真面目な姿勢、あきらめない心意気、そんな根っこの部分は同じだ。

 「(JFLセカンドステージは現在6位に)まだ優勝が狙えるとは思っているので、本当にここから一つも落とせない。今日のような試合がないよう、練習から気持ちを入れてやっていきたい」

自分を信じ、歩みを止めない26歳の遅咲き選手。本田圭佑の“伸びしろ”に触れた。

【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)