4年に1度のワールドカップ(W杯)日本代表の選出には、悲喜こもごもがある。
■4年に1度悲喜こもごものドラマ
1998年フランス大会のカズの落選には驚いた。02年日韓大会は中村俊輔が外れ、中山雅史が選ばれた。06年ドイツ大会はサプライズ選出となったジーコ監督が読み上げた「マキ(巻)!」の響きが今も脳裏に刻まれている。その後もなぞっていけば色々ある。
そして今回、負傷によって三笘薫が外れた。
左ハムストリングスの肉離れと伝えられたことで招集が難しいことは分かっていたが、5月15日に森保一監督が読み上げた26人のリストの中に「三笘薫」の名前がなかったことに少なからずショックを受けた。
やっぱりいないんだ…、と。
22年カタール大会では「三笘の1ミリ」が大きな話題となった。以降、三笘は日本代表の顔となった。
世界最高峰のイングランド・プレミアリーグで世界選抜のような相手チームをきりきり舞いにする。最近で言えば、3月31日に聖地ウェンブリーでW杯でも優勝候補に挙げられるイングランド代表からゴールを奪い、歴史的勝利の立役者となった。
それでいてW杯には出られないのだから。運命のいたずらというか、サッカーの神様は随分な試練を与えてくれたものだ。
W杯日本代表メンバーが発表された翌16日、日産スタジアムには横浜F・マリノスのFW宮市亮(33)の姿があった。
■3度の重傷も乗り越え現役を続行
宮市と言えば、多くのケガに泣かされながら、そのたびに立ち上がってきた。22年7月27日、森保監督率いる日本代表の一員として参加した東アジアE-1選手権の韓国戦で、右ひざの前十字靱帯(じんたい)を断裂。実に3度目となるひざの重傷に現役引退を決意した。しかし周囲の声に励まされ、今も現役生活を続けている。
宮市なら、三笘のただならぬ胸中を理解できるかもしれない。試合後のミックスゾーンで声をかけた。
端正な男の目に光が宿る。落ち着いた口ぶりで語り出した。
「悔しいと思います。本当に悔しいと思うし、彼もここにかける思いが強かったんじゃないかなと思います。でも、やっぱり人生は続いていくので。周りに支えてくれる人もきっといるだろうし。誰がどう見ても日本のスーパースターであることは間違いないんで。
メンタルなんかもすごく強靱(きょうじん)だろうし。でも苦しい時はあると思います。そこは前を向いて、もう切り替えてるんじゃないですか。彼のことだったら。面識はないですけど」
宮市自身、たび重なる長期離脱を味わい、多くの涙を流した。そこからどう気持ちを切り替え、立て直してたのか?
「時間が解決してくれるところもあります。やっぱり周りの存在とか、その時々によって、自分がこう前を向ける材料を探して僕は前を向いてきました。やっぱり、またサッカーの情熱ってものが出てくると思うし、もう出てきているのかも分からないけど。ただ、やっぱりケガをすることで、サッカー選手とでなしてはなくて、人間的に成長できるっていうところもあるので、やっぱ苦しみを知った人間ってものはより強くなれると思う。三苫選手は、サッカー選手としてもそうですし、人間としてもすごく素敵な選手になっていくのではないかなと思います」
■「待っててくれた人がたくさんいる」
くしくも同じプレミアリーグでプレーした先輩であり、スピードを武器にしたウインガーというポジションも同じ。18歳でアーセナルに入団し、将来の日本代表FWとして期待された。結果的にたび重なるケガに足を引っ張られ、W杯でプレーするという夢はかなわないままだ。
かつて宮市にインタビューした際、「負傷から戻ってこられたのは何が支えになったのか?」と問いかけると、こう回答した。
「待っててくれた人がたくさんいるってこと、歩けなくなった自分にでも『待ってます』と声をかけてくれた人がたくさんいたこと。やっぱりプロになってケガを重ねていって、自分が描いていた未来とは、僕が18歳でプロになった時の未来はまったく違ったものになってしまいましたけど、やっぱりここで終われないなっていう、自分の意地だったり、サッカー選手としてこんなケガしたままでは終われないという自分との闘いじゃないですけど、意地があった。リハビリの時は毎日、毎日、どっちをこうモチベーションにしようかみたいなところで頑張っていましたけど、一番大きいのは、やっぱり待っててくれた人がいるというところです」
待っててくれた人がいる-。それは三笘にとっても、この苦難を乗り越える上でのモチベーションとなるのではなかろうか。
家族、仲間、チームメート、ファン・サポーター。さまざまな声や期待が、その心をつき動かすのではなかろうか。人は1人ではない。さまざまな支えがあり、自分は生かされている存在なのだと。普段は見逃しがちな当たり前のことが、より深く心に染み入ってくる。
苦難を乗り越えてきた宮市が、常に心に持っている言葉は「Now or Never(今を生きる)」。
生かされている今を全力で走り抜く-。その胸中はまさに三笘にも一致するものだと思う。
■森保監督のもとで戦える「幸せ」
宮市はかつて日本代表で指導を受けた森保監督についても、こんな話を明かしてくれた。
「人間として奥が深いというか、やっぱり絶対に偉ぶらない。同じ目線よりもむしろ下からこうリスペクトを感じる。あれだけいろんな経験されてる方が、あれだけ腰が低いというか、そう対応してくれるとすごくリスペクトがある。この人のために頑張ろうってみんな思っていると思います。技術、戦術を越えた見えない力みたいなところを本当に持っている監督だと思います」
なぜ、そこまで心酔するのか? こんな逸話を教えてくれた。
22年夏の重傷からリハビリの渦中にあった23年正月、その森保監督と電話で話をしたという。W杯カタール大会を終えた後のタイミングである。W杯の報告も兼ねた話の流れで感謝を伝えられた。
「本当にチームのために戦ってくれてありがとう、っていうことを言われました。その会話は今も忘れられません。短期間の関係でしたけど、今でも森保さんが指揮する日本代表はすごいなと思いますし、ああいう監督のもとでプレーできることは幸せなんだと思います」
今回のメンバー発表で26人を読み上げた後、目に涙を光らせた森保監督。三笘のことはもちろん、選ばれなかったさまざまな選手の顔を浮かべていたのだろう。日本代表には隠されたドラマがある。
森保監督率いる日本代表は、この夏どんな軌跡を描くのか。三笘不在のチームが結束し、まだ見ぬ新しい景色を見せてくれることを願っている。
そして三笘が負傷を乗り越え、以前よりも心も体も強くなった姿を見せてくれること、それを期待してやまない。
みんなが三笘を待っている。【佐藤隆志】










