鹿島アントラーズが、2日のリーグ最終節磐田戦で0-0の引き分けに終わった。2位だった川崎フロンターレに逆転されて連覇を逃した。昨年のチャンピオンシップは年間3位から頂点に立つなど「ここぞで勝負強い」「タイトルをとり慣れている」と言う声は多い。だが、スコアレスドローに終わった最後の2戦の先発で、1シーズン制での優勝経験者はGK曽ケ端準(38)とMF遠藤康(29)のみ。2位から迫り続けられた独特の圧力を、無意識のうちに感じていたに違いない。国内主要タイトル19冠の鹿島でさえ、初経験の舞台だった。カップ戦の決勝戦とは異質だった。

 試合後、DF昌子源(24)は「一段と強くなるための試練だと思いたい」。FW土居聖真(25)も「優勝するのは簡単じゃないし、今は悔しさしかない。でも、何も残らないままにしたくない。『これがあったから』と言えるサッカー人生がくればいいなと思う」と必死に前を向こうとした。遠藤にも「ずっと勝てるのはフロンターレの強さ。おめでとうと言いたい」と勝者をたたえつつも、「プレッシャーの中で、いかに良いプレーをして勝利を届けるかが自分たちの仕事」と悔し涙があふれた。3人ともが共通して発した言葉は「力不足」だった。

 今季はアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝トーナメント1回戦で敗退後、5月末に石井正忠監督(50)を解任。コーチだった大岩監督が途中就任した。リーグ戦はその時点で7勝5敗で上位。昨季2冠、クラブW杯準優勝の貢献者を「なぜ?」とサポーターやスポンサーから疑問の声が挙がったのも事実。強化担当の鈴木満常務取締役(60)は「高く飛ぶには助走が必要だと思った」。直後に下位の広島、札幌、新潟戦で“助走”。その後の大一番となる柏、G大阪、東京のアウェー3連戦(2勝1分け)に標準を合わせた決断。交代後9戦無敗に「最初の3つを勝って、思惑通りだった」。当時、会心の表情だったことも思い起こされる。2年連続9度目の優勝は逃したが「勝ち点72は、よく頑張ったんじゃない。少しは負けられないっていう焦りがあったと思う」。悔しさをにじませつつも、9月から首位を守ってもタイトルを失った経験に、今後の「力」を得た様子だった。

 もう1つ、鹿島が強さを継続する理由を感じる場面もあった。試合終了後、MF三竿健斗(21)はMFレオ・シルバ(31)に抱きかかえられなくては整列できないほど泣き崩れた。昌子もあおむけに倒れ、自力では立ち上がれない。その姿に苦言を呈したのは、ヤマハスタジアムのアウェー席をアントラーズレッドに染めたサポーターだった。健闘をたたえる拍手、もしくはV逸のブーイング。それは普通。私の耳に届いたのは「ピッチの上で悔し涙を流すな。情けないぞ。それでも鹿島の選手か」「悔しがる時間があるなら、次への準備をしろ。プロだろ」「悔し涙は、来年のうれし涙にとっておけ」。厳しい言葉だが、的を射た愛のあるムチ。傷をなめ合うような甘さなどなく、常に優勝に挑む姿勢。サポーターが心が折れた選手を立て直す。鹿島のクラブ関係者も「我々もその通りだと思った。選手も我に返ったと思います。こういう積み重ねが、このクラブの強さの基礎になっているんでしょうね」と話していた。

 来季がACLを含めた、史上初の「4冠」に挑む。私は今季限りで鹿島を担当を離れるが、心の強さを増した「20冠」を、来年は楽しみに待ちたいと思う。【鎌田直秀】

 ◆鎌田直秀(かまだ・なおひで)1975年(昭50)7月8日、水戸市出身。土浦日大-日大時代には軟式野球部所属。98年入社。販売局、編集局整理部を経て、サッカー担当に。相撲担当や、五輪競技担当も経験し、16年11月からJ1鹿島、J2横浜FCなどを担当。今年11月から東北総局に異動。180センチ。目標は78キロ。