J2ロアッソ熊本の健闘を祈る-。甚大な被害をもたらした16年4月14日の熊本地震から2年がたった。記者の誕生日だったこともあり、当時のことは今も脳裏に焼きついている。発生当時の夜、福岡市のマンション11階に家族といた。携帯から報知音が鳴ったかと思うと、すぐ後に気分が悪くなるほどのものすごい横揺れが襲ってきた。テレビのニュースからは大惨事が次々に明らかになり、避難所の生々しい様子に心を痛めた。

 震災から2年が過ぎたとはいえ、現在も復興途中で約3万8000人が仮設住宅での生活を強いられている。そんな中、私の両親の出身地でもある熊本県民の希望の光になる戦いを続ける熊本の姿に涙が出そうになった。熊本地震の復興支援マッチと位置づけられた4月15日の熊本対東京V戦は、成績上位の難敵に対し激闘の末引き分けた。

 だが死力を尽くした内容に意味がある。選手たちは大宮を率い、J1で5位の実績もある渋谷洋樹監督(51)から「県民に力を与えられるよう、1人1人が自分の力のベストを尽くし全員で戦い抜こう」と送り出され、最後まで攻守に粘り強く戦い、サポーターに勇気と元気を届けた。

 試合前、ミニライブを行った熊本出身の歌手八代亜紀(67)は「いろんなことがありますが、助けあっていきましょうね」とサポーターに呼びかけた。その言葉の通り奮闘した。その勢いは持続中だ。4月21日の京都戦では先制された。だが最後まであきらめず、後半ロスタイム4分で勝ち越して劇的勝利を収めた。

 震災時、半数以上の選手が県外に一時避難した。熊本に残った選手の中には、避難所生活や車中泊を強いられた選手もいた。そこから立て直してきた熊本は、復興支援のシンボルとして重責を担う立場にある。昨季J3降格危機の屈辱を味わった分、今季に期すものがあるはずだ。4月22日時点で6位。まだまだ高みを目指してほしい。【菊川光一】

 ◆菊川光一(きくかわ・こういち)1968年(昭43)4月14日、福岡市博多区生まれ。福岡大大濠高-西南大卒。93年入社。写真部などを経て現在は報道部記者で主にJリーグなど一般スポーツ、カメラマンとしてもプロ野球のソフトバンクなどを担当する。スポーツ歴は野球、陸上中長距離。